前回も書きましたが、 この一帯はかって中国とインドを結ぶ通商路=西南シルクロードや、 大戦中はリド・ロード=REDO ROAD (日本側からすれば、インパールへの道) が通っていた所です。
早朝(5:54)ミチナーをスタートし、バラミンテン・ダダーを渡り、
対岸のワイモウの町に入ります。
ワイモウからこの道を行くと130km程で中国国境です。古永、保山に至る西南シルク・ロードです。
道はこのようにぬかるみの連続です。
トラックが深い轍を作り、普通車では、はまって動けなくなります。
そして終いにはトラックでさえ、はまってしまいます。
すると、トラックが石を運んで来て、ぬかるみに投げ込んで行きます。
雨季のこの時期にこの道を通れるのは、トラックやジープ、それに最近登場した4WDの車だけです。
他で多く見られるトラック・バスやタクシーでは、到底無理です。
ナムサーヤン村で昼食です(11:41)。
108mileの内47mile来たそうです。後61mile。やれやれ。
17:17ダービン川を渡りバーモが近づいてきました。18:24ようやくバーモに着きました。
朝6時から夕方6時まで、12時間の車との格闘でした。無論敗れました。
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バーモまでの道は完全に手つかずでしたが、ナムカンへの道は随所に石で舗装した所があります。
中国雲南省の瀘沽湖への道もそうでしたが、あの道は石を四角に割って、上の面をそろえてありました。
こちらは、ただ割っただけの角張った石を、並べたものですから、表面は凸凹で、通ると激しく揺れます。
ぬかるみでないだけで、揺れはバーモまでの道と大差がありません。
救いは短いことだけです。
この時期のリドロードは現在でも大変な道です。
ここを敵の追撃をかわしながら、落ち延びて行くのは大変だったでしょう。
翌朝バーモを出発するのと、知人に前回撮った写真
を渡しに行ったのとで、今回はあまり写真は撮れませんでした。
早朝、市場の写真を撮っただけです。これは途中の細い橋です。
雨の中、前回と同じ所で撮りました。
峠を越えていきます。ここはガイテック村。
ミチナーでコピーした書類10枚は、バーモまでに使い切り、バーモでもう10枚コピーしました。
橋を渡りナムカンに入ります。
そしてこの川がシュエリー川(Shweli River、中国名「瑞麗江」)です。
シュエリー川は、中国側からミャンマー側へと流れ、
やがてカダーの下流30km程の所でエイヤワディ河に注ぎ込みます。
ナムカンでタクシーに乗り変えて、ムセーに行きます。この道は快適でアっと言う間に着きました。
ムセーの町が見えて来ました。あの高いビルは中国側のルイリの町のものです。
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ムセー(中国表記=木姐)の町は中国のようで、店には中国製品があふれ、店員もほとんど中国系の顔です。
町角には札束を持ったおばちゃん達が座り込んでいて、両替をするという、昆明で見慣れた景色です。
中国に行った時の残りの小銭を両替しましたが、RMB266=15200ksと、そこそこの額になりました。
さて肝心の中国入国ですが、今回、外国人旅行者には1DAY VISAは発行されませんでした。
行けるのはミャンマー人のみで、国境のイミグレから50mくらい離れた所に、VISAの発行所があり、
インスタントカメラ屋がいて、顔写真を撮り、手続き書類を書いて、受給していました。
外国人旅行者は、中国のVISAがあれば通過は出来るそうで、逆も可能とのことでした。
タチレクも同様だそうで、今、全ての国境は外国人には、開放されていないようです。
夕日を写しに行きました。シュエリー川の夕日です。橋の左側が中国の飛び地になっており、先程の国境ゲートがあります。
この飛び地はミャンマーが中国に贈ったそうです。
その他の国境線も単純にシュエリー川ではなく、右の方の川向こうにはミャンマーの飛び地があるそうです。
「中国に日が沈んで、ミャンマーから日が昇るんですね。」と聖徳太子みたいなことを言うとミャンマー人が喜びました。
夜市で売っていたのは
糯(モチ)性のとうもろこし(Stickey Corn)
です。
ラオスで食べたのは紫色でした。
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朝食はナンピャが習慣になりました。
朝食を食べて出発です。途中の茶店前で茸を売っていました。これで900ks(1.5$)です。昼食のために買いました。
この山の連なりは、「ノイ サン シップ」と言うのだそうです。
シャン語からきているそうですが、もろにタイ語で「30の山」という意味です。
ただ山はタイ語ではドイというほうが多いようですが。
シャン語とタイ語は6,7割同じで、特に数字は全く同じです。以前ミチナーでシャンの子に聞いています。
ヌン 1
ソーン 2
サーム 3
シー 4
ハッ 5
ホック 6
チェ 7
ペー 8
ガーオ 9
シップ 10
です。
この盆地は今年だけで4回洪水にあったということです。左側から水が来たそうです。
ようやくラーショーに入ります。
マンスー寺というシャンの寺からの町の眺めです。
先程の茸を調理してもらい昼食です。炒めたのと、揚げたのです。
炒めた方は舞い茸のように味が良く、とてもおいしかったのですが、揚げた方は揚げ過ぎで、せっかくの茸がポテトチップでした。
シャン族の藩王の屋敷です。
女主人が流暢な英語で話しをしてくれましたが、いかんせん、夜でしたので少しだけです。
「消え去った世界〜あるシャン藩王女の個人史〜」、訳者の森博行さんが
このホームページを見てくださり、この写真に説明を加えてくださいました。
森さんのお許しを頂き、以下に引用します。
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シポーの舘でお会いになった女主人というのは、著者サオ・ノン・ウゥの長姉サオ・
ニュン・チー(アグネス)がモンヤイ(南センウィ−)のソーボワサオ・スー・ホム
(ハロルド)に嫁いでもうけた8人姉妹の第4女サオ・サム・ポン(ファーン)のはず
です。彼女は、1962年のクーデタの朝、タウンジーからヘホー飛行場に向かう途中行
方不明(軍による闇処刑)になったシポーソーボワサオ・キャ・センの甥と結婚して
います。
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ソーボワ(SAWBWA)は藩王のことです
森さんが今年4月にチェントゥンを訪れた旅行記『シャン州東部(チェントゥン・モンラー)旅行記』第6編までが
「メコンプラザ」というサイトに掲載されています。
http://www.mekong.ne.jp
特に第6編のモンラーはディープ・シャンとでも言える地域でたいへん興味深いものです。勿論私も行った事がありません。
http://www.mekong.ne.jp/books/nonfiction/020801.htm
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こちらがコンパクトカメラ(120mm)です。ほぼ同条件です。
イギリス軍が建設した鉄橋です。橋脚の高さが世界一だと、イギリスのガイドブックには書いてあるそうです?
NHKのTV番組(ミャンマー庶民列車)を録画した中にありました。
ピンウールィンから3時間、ナムタンセ川に架かるゴクテック橋で1903年製造、長さ689m、橋脚の高さ97.5m、
川の水面からの高さ335mと紹介されていました。この路線はティーボウ北西のナムトゥまで15時間で結び、
そこからさらにボードウィンまでレール幅60cmの鉱山鉄道があるということでした。
先ほど見えた橋を渡ると、ピンウールィンです。
ピンウールィンは2年前にマンダレーから行っています。今回は逆コースになります。
前回の方が時間があったのでいろいろ行っています。
滝(Anisakan Falls 市街から8miles)なども見ています。(写真はありませんが)
今回は中国寺と植物園に行きました。
中国寺はナーバーティラ、別名テータールーチョンというそうですが、
チケットに書いてあったのは、天然宮(Tian Ran Kong)でそのまま中国語読みです。
前回カメラをぶら下げて歩いていたら、おばあさんの係りが撮影料を徴収に来ました。
その話しを知人にすると、「いらないんじゃない」と言われましたが、やはり後で徴収に来ました。
200ksから40ksに値下がりしていました。
ピンウールィンのピン(pyin)は山の上の平らな所を指すそうです。
子猫。私は「犬派」でも「猫派」でもありませんが、ミャンマーを旅すると本当に犬は阿呆で、
写す気になりません。
猿。檻の中の動物って何か寂しそうです。こちらの気持ちが反映するのでしょうか。高揚していますが。
植物園
(Botanical Garden)は装いを変え、
ナショナル・カンドージ・ガーデン(National Kandawgyi Gardens)となっていました。
カンドージは大きな池という意味です。
園内に鳥園ができました。フクロウです。キャッチライトが入って本人は満足です。