最初に前回までに書いたことを修正を加えながら再掲します。
但し、後半部分は旅行中にモバイルコンピュータ(HP200-LXです)で書いた原稿ですからダブリます。
バーモ(ミャンマ表記Banmaw、英語表記Bhamo)、は中国国境の町、 ナムカン(Namkham)、ムセー(Muse)、モンユー(Mongyu)、への拠点であり、 エーヤワディ河を下る船の出発点でもあります。 ムセーから国境を越えるとシュエリ(Shweli)=中国名「瑞麗」(ルイリー)の町になります。
ミチナーからバーモへ行くには飛行機と車があります。 鉄道はありません、船は途中が狭くなっていたり、滝があるので行けません(難所が3ヵ所あるそうです)。 飛行機で30分、車で10時間くらいです。
飛行機は日曜と月曜にあり、まずマンダレーとカムティ(Khamti) を往復して、 次にマンダレーからバーモ、ミチナーへと飛び、再びミチナー、バーモでマンダレーに戻ります。 勿論これは天候により変わり、前回はスコールのためフライトキャンセルになりました。 (これはミャンマエアの場合で、今年の5月からヤンゴンエアも飛びます。 外国人料金はヤンゴンエアが40$、ミャンマエアが30$です。 ヤンゴンエアのフライトは火、木、土です。 ミャンマエアのフライトも増えて月、水、金、日なので、両方で毎日飛ぶことになります。 しかし、上にも書いた通り天候で変わり、今回も両方のフライト共キャンセルになりました。 そこで車で行くことにしました。)
車の場合はガイドとパーミッションが必要でパーミッションの申請は10日前です。 ミャンマ国内の移動は飛行機、汽車、船、定期バスは出発地と到着地のイミグレだけで済みますが、 外国人の車での移動はパーミッションが必要な場合がありますし、町毎にイミグレに行かなければなりません。 (今回はムセーに行く予定でしたから、 パーミッションの申請は知人のライセンスガイド、 アイイン(AHYIN)さんが、 事前にFAXでヤンゴンに申請しておいてくれました。 それと私のPASSPORTを10枚コピーしておきました。 イミグレに提出するためです。提示してもよいのですが、 それだと、向こうの帳簿に書きこむため時間がかかってしまうからです。 因みにPERMISSION FEEはなんと50$でした。)
バーモからナムカンへの道は悪く、車で4時間、 ナムカンからムセーへは道が良く車で1時間、 さらにムセーからラーショー(Lasho)、ピンウールィン、マンダレーへと車で12時間です。 (バーモからナムカンへはもっとかかりましたが、他はほぼその通りでした。)
今年の旅の予定と概要です。
まずはミチナーから出発です。
ミチナー(Myitkyina)、バーモ(Banmaw,Bhamo=English)間188km、車で10hoursの旅です。
次にバーモ〜ナムカン(Namkham)〜ムセー(Muse)と80km 4hours & 64km 1hoursの旅です。
ムセーで1DAY VISAを取り、中国側のシュエリー(Shweli)、中国名「瑞麗」(Ruili)に入る予定です。
さらにムセー〜ラーショー(Lashio) 4hours〜ティーボウ(Thibaw,Hsipaw=English) 2hoursと続き、
最後にティーボウ(Thibaw,英名シーポウHsipaw)〜ピンウールィン(Pyin Oo Lwin) 3hours〜マンダレー(Mandalay) 2hoursとなります。
マンダレーでミチナーから飛行機で来た、知人のお母さんと合流して、旅を続けました。
お母さんは元校長先生ですので、皆から「セヤマジ」と呼ばれます。
少し英語を話します。
ですから、去年行ったミングォンやマンダレーヒルへ行ったりしました。
そして二つめの旅の出発です。
マンダレー〜カロウ(Kalaw)〜ピンデヤ(Pindaya)
ピンデヤ〜インレー(Inle,Inlay Lake)〜タウンジー(Taunggyi)
タウンジーからヘーホ(Heho)へ行き、ヘーホ空港からエアマンダレーでヤンゴンに戻りました。
(セヤマジ達は前日に、車でマンダレーに戻り、そこから飛行機でミチナーに帰りました。
私は一人残り、ヘーホからヤンゴンに行きました。)
なお、かかった時間は乾季のノンストップのもので、雨季の今はもっとかかりました。
特に一つめの旅がそうで、二つめは道路事情が良く、ほぼ予定通りです。詳しくは各項目で。
予定は空路でしたが、結局バーモへの飛行機は2度フライト・キャンセルになってしまいました。
ここはマンダレーから回るという手もあるのですが、思い切ってリド・ロードを辿ってみました。
前回も書きましたが、 この一帯はかって中国とインドを結ぶ通商路=西南シルクロードや、 大戦中はリド・ロード=REDO ROAD (日本側からすれば、インパールへの道) が通っていた所です。
LEDO ROAD (1942年のルート)
Ledo-Myitkyina-Bhamo-Namkham-Mongyu
-Wanting(
町)
-Mangshi(芒市)
-Yungchang
-Baoshan(保山)
-Dali(大理)
-Kunming(昆明)
ミチナーのお年寄りによると米軍側(というより英軍側のインド兵)は、 リド(LEDO) 〜シンブーヤン 〜マイコン 〜カーマイン 〜ムゴン と進攻して来てミチナーに至り、戦闘は1944年6月から10月までの雨季の5ヵ月間行われ、 最後は司令官は対岸で自決、(MINAKAMIと聞きました、また対岸ではなく中州のナウンターロという島でした。) 兵隊達は夜間、機銃掃射をかいくぐり、竹の筒で息つぎしながら浮き袋を抱えて、 河をバーモへと下って行ったそうです。
バーモまでの道は完全に手つかずでしたが、ナムカンへの道は随所に石で舗装した所があります。
中国雲南省の瀘沽湖への道もそうでしたが、あの道は石を四角に割って、上の面をそろえてありました。
こちらは、ただ割っただけの角張った石を、並べたものですから、表面は凸凹で、通ると激しく揺れます。
ぬかるみでないだけで、揺れはバーモまでの道と大差がありません。
救いは短いことだけです。
この時期のリドロードは現在でも大変な道です。
ここを敵の追撃をかわしながら、落ち延びて行くのは大変だったでしょう。
中国製ジープ格闘記
座席がベンチと同じで(一応布張りだが、いわゆる硬座)、わずかにクッションを背にあてただけ。
サスペンションがほとんど効かず、道路の細かいギャップの振動も全て拾う。
ただ座っているだけだと、体が揺さぶられ、支えられず、
そのうえ狭い車内のため、どこかにぶつける。
頭をぶつけること3回、膝を座席の金具にぶつけること数知れず。
背を伸ばして座ると、跳ねた時頭をぶつけ、落ちた時腰を痛める。
傾けると膝をぶつけ、首が鞭打ち状態になる。
さらに揺れにより頭が横の窓にぶつかるし、前の座席に顔がぶつかりそうになる。
体が振られないように、足を突っ張っているから膝が痛くなる。
同じく前の座席の背凭れやドアの取っ手を掴んでいるから手がしびれて来る。
終いには手拭いで手を固定した。
道路の状況も良く見ていて、凹凸から揺れを予想しなければならないから、休む暇がない。
運転しているようなものだ。
結局、尻にこぶが出来、尻の皮が剥け、
右膝が登山した時のように痛み、太股と背中と肩の筋肉が張り、
両手の筋肉が疲れ、ドアの取っ手を掴んでいた左手にあざができた。
尻のこぶは翌日消えたが、尻の皮は翌日のバーモ、ナムカンの車でさらに剥けた。
右膝は昼頃ひどくなり、階段が降りれなくなった。
ムセー(中国表記=木姐)の町は中国のようで、店には中国製品があふれ、店員もほとんど中国系の顔です。
町角には札束を持ったおばちゃん達が座り込んでいて、両替をするという、昆明で見慣れた景色です。
この時レートは、RMB131=1000ksでした。中国に行った時の残りの小銭を両替しましたが、そこそこの額になりました。
さて肝心の中国入国ですが、今回、外国人旅行者には1DAY VISAは発行されませんでした。
行けるのはミャンマー人のみで、国境のイミグレから50mくらい離れた所に、VISAの発行所があり、
インスタントカメラ屋がいて、顔写真を撮り、手続き書類を書いて、受給していました。
外国人旅行者は、中国のVISAがあれば通過は出来るそうで、逆も可能とのことでした。
タチレクも同様だそうで、今、全ての国境は外国人には、開放されていないようです。
この山の連なりは、「ノイ サン シップ」と言うのだそうです。
シャン語からきているそうですが、もろにタイ語で「30の山」という意味です。
ただ山はタイ語ではドイというほうが多いようですが。
シャン語とタイ語は6,7割同じで、特に数字は全く同じです。以前ミチナーでシャンの子に聞いています。
ヌン 1
ソーン 2
サーム 3
シー 4
ハッ 5
ホック 6
チェ 7
ペー 8
ガーオ 9
シップ 10
です。
ティーボウ郊外のボージョー(Bawgyo)寺です。寺の中に塔がありました。
イギリス軍が建設した鉄橋です。橋脚の高さが世界一だと、イギリスのガイドブックには書いてあるそうです?
ピンウールィンは2年前にマンダレーから行っています。今回は逆コースになります。
前回の方が時間があったのでいろいろ行っています。滝なども見ています。
今回は中国寺と植物園に行きました。
中国寺はナーバーティラ、別名テータールーチョンというそうですが、
チケットに書いてあったのは、天然宮(Tian Ran Kong)でそのまま中国語読みです。
前回カメラをぶら下げて歩いていたら、おばあさんの係りが撮影料を徴収に来ました。
その話しを知人にすると、「いらないんじゃない」と言われましたが、やはり後で徴収に来ました。
200ksから40ksに値下がりしていました。
ピンウールィンのピン(pyin)は山の上の平らな所を指すそうです。
植物園は装いを変え、ナショナル・カンドージ・ガーデン(National Kandawgyi Gardens)となっていました。
カンドージは大きな池という意味です。
最初に山の上の町カロウに着きました。高度は1200m、ここでティー・タイムにしました。
山の上に町があるというのが、云南のときのような驚きです。さすがに云南のような大平原と言うわけにはいきませんが。
そろそろピンデヤです。「PINDAYA 3880ft」の標識が出て来ました。
ピンデヤのお寺が遠くに見えます
湖の看板
セヤマジの知り合いのお店です。シャンの服を買いました。
竹の筒に入っているのは、お茶の漬け物「ラペッソー」です。
この後、山の寺を案内してもらいました。
山の中腹に建てられたシュエウーミン(Shwe-U Min)寺は、シュエダゴンやマンダレーヒルのようにエレベーターで昇れます。
エレベーターは午後4時で終了でしたが、知り合いが話して電源を入れてもらい、昇りました。
観光客が皆帰った後なので静かです。鍾乳洞の中に作られているお寺で、石筍や石柱の間に、たくさんの仏像があります。
8千だか8万だかあると案内のおじいさんが言っていました。(結局8千以上でした)
入場料3$は1500ksで払いました。
ピンデヤ周辺の山にはお茶の木が植えられ、この辺りは、ラペッソー、ラペッチャウの産地です。
「ラペッ」はお茶、「ソー」は湿った、「チャウ」は乾いたという意味です。
入り口の土産物屋では何とPhotoCDを売っていました。
値段を聞くと2000ks(約4$)。買うしかないでしょう。
何が写っているか楽しみです。
このお寺は一晩中ライトアップされていました。
このあたりには発電所があり、ミャンマーの電気の幹線路で送電線の鉄塔が続いています。
ですから電気は比較的有る方だそうです。
確かにホテルに自家発電の設備はないようです。
といっても実感出来るほどではありませんでした。
早朝インレー(Inle)に向い出発しました。
ここで鉄道がループしています。これが向こうでグルッと回って、
このように下に出て来ます。
インレー北岸のニャウンシュエ(Nyaungshwe)の町です。
水路にボートが行き交います。
ボートを頼んで出港です。
が、イミグレがあってエリア・タックス3$を払わなければなりません。
チャットはダメでした。いろいろな所でドルが要ります。
水路を通って
インレーに入ると浮き畠が見えます。
インレーとインドージはどちらが大きいのかいつも聞くのですが、答えは人により様々で、
概してカチン州の人間はインドージの方が、少し大きいと言います。(あたりまえか!)
彼らによるとミャンマー三大湖は、
1.インドージ
2.インレー
3.インドレー
だそうです。
因みにインは湖のことですから、インレー湖というのは、
マウント富士山というようなもので変なのですが、
ポスターにはINLAY LAKEと書いてあります。
織物工場で丁度織り上がったばかりの、手織りの絹の布がとても奇麗だったので買いました。
裾の処理をしてもらい完成しました。
値段はセヤマジが交渉してくれましたが、6000ks(10$)とこちらではそれなりのものです。
でも日本人はこの値段なら大喜びです。
アルードーポッ寺でお経をあげているのは、ボー族の団体さんです。
フォンドウゼジーの仏は金箔で金の塊になっています。
この仏だけは撮影禁止(他は撮影料100ksで写せます)ですが、
セヤマジと話しをしていた係りのおじさんが写していいと言いました。
ビックリして思わず聞き返しました。ミャンマー人と一緒に旅行すると便利です。
ニョペーチョウン寺の坊主はミャンマーには珍しく、観光客に猫の曲芸を見せて写真を撮らせるなど、
サービス精神旺盛ですが、気が乗らず撮りませんでした。
ファラン(欧米人、タイ語ですが)の女が煙草片手にお坊さんの横に座り、くっちゃべっています。
この国の人達はお坊さんにそんな態度は取りません。
お坊さんがイスに座り、自分はその前に正座(ミャンマー風ですが)します。
特に女性はお参りでも仏の近くには寄れません。境界線があります。セヤマジもきちんと守っています。
女性蔑視とかの話しではなく文化なのです。
他国の文化を尊重しないのは野蛮人です。
この国が好きなのは、文化を守っているからです。
ロンジー、タナカー、その他もろもろ。
やがて彼らもこれらを捨てる時がくるかもしれません。
しかしそれは彼らが決めることです。
ファランが壊すことではありません。
それまではそんな態度は取るべきではありません。
勿論、同じにしろとは言いません、
それなりの態度で結構です。
早々に退散しました。
お参りの様子
今回のように旅行でいくつもの寺にお参りする場合は、
銀行で10ks(チャット)札の新札を両替して用意しておきます。
タイでもそうですが、お寺の中は土足禁止ですから、
裸足になります。靴下もだめです。
タイでは男女とも半ズボンのようなものはだめで、
長ズボンのようなものをはかなければなりません
(お寺で用意していることが多いです)。
ミャンマーは長ズボンについてはタイのように、
外国人にも守らせるということはないようです。
ロンジーをはくのがベストです。
座り方はいわゆる横座りです。
まず、手を合わせお祈りし、
それから両手を床につけて、床近くまで頭を下げます。
熱心な人は何度も繰り返したり、お念仏を唱えます。
賽銭箱(ドネーション・ボックス)には、
10チャット札を5枚入れます。
それは、
パヤー=仏陀
テヤー=仏陀の言葉
タンガー=お坊さん全体(個人はポウンジー)
ミバー=両親(アペイ=父とアメイ=母)
セヤー=先生
に奉げるためです。
ドネーション・ボックスには何の用途に使うかが書かれていますが、
ほとんどがミャンマー文字なので、これは致し方ありません。
タウンジーからエアマンダレーのリムジンでヘー ホ空港まで約1時間、そして時間通りのフライト。
まるで軽井沢から新幹線で帰るような旅です。(やったことはありませんが)
空港での厄介な荷物検査を除けば。
空から見た空港への曲がり角。向こうにインレーが見えます。
ミチナーのエーヤワディ河定点観測。エーヤワディ河の水位は去年より少し低いようです。
ミチナーというのは、ミ=川、チ=大、ナー=隣り、という意味だそうです。(今頃になって知るとは!)
スートンピのこの花は、「お釈迦様がこの木の下で・・・」とかいう説明でしたので、
てっきり「沙羅双樹」だと思い込んでいましたが、植物図鑑を見たら日本でいうのと違うようです。
菩提樹かもしれません。次回確認します。
スートンピというのは願いが叶うという意味で、マンダレーヒルのもスートンピでした。
知人宅で行なわれた法要です。
「ミャンマーの風習を見て下さい。」ということで招待されました。
この時期多くの家で行うそうです。勿論仏教徒ですが。
ポウンジー(お坊さん)をお呼びし、
お経をあげてもらい、
その間、水を注ぎ続け、
贈り物(法衣などです)をし、
テーブルを少し持ち上げ料理を捧げ、
食事をしてもらいます。
基本的にお金は渡しません。
位の高い僧は現金は持たないそうです。
(持つ必要もありませんが)
町中では煙草を吸ったりしている僧を見かけますが、いろいろいるようです。
門のライオン像(Chinthe Ruins)とマンダレーヒル
ミングォンの隣の寺(Molmi Paya)は聖人を奉ったものですが、
眼鏡をかけた像は何とも変。
次にミングォンベルがあって、
最後に真っ白い漆喰の寺(Hsinbyume Paya)です。
少し下流の寺にミチナーでお呼びしたポウンジーがいるので、セヤマジが尋ねました。
雑感
「雨のシュエダゴンはしっとりと落ち着いた感じで、人も少なく、
特にガイドの売り込みがいないので、のんびりできる。
ただ石畳がかなり滑るので、細心の注意が必要で疲れる。
ミャンマー人もあちこちで滑っているから本当に厄介だ。
転んで怪我でもしたひには、何のためにお参りに来たのかわからない。
しかし本当に静かで、雨だれのピチャンピチャンという音がするだけで、
頭の中がカラッポになっていく。」
最近は、ほとんど通過だけのバンコクに1泊したので、新しくできたBTSに乗りました。
当初値段が高いのと、駅が高いのとで、バンコクっ子に人気がなかったのが、最近は乗客も増えたそうです。
ドイツのシーメンス社の車体は、幅はあるようですが、天井が低いので、狭苦しく感じます。
何と言っても交通渋滞のすさまじいバンコクで、簡単に移動出来るのはいいのですが、
酒を飲んで、電車で帰るのでは、日本の生活みたいでうれしくありません。
やはりバンコクは通過するのがいいようです。
バンコクの写真は古いので、新しく撮りたいのですが。
悩む所です。
ずっと天気が悪かったそうですが、珍しく良くなり、下からも見えたので、ワット・プラタートに上りました。
ケーブルカーが新しくなりましたが、斜めのエレベーターのようなものです。
なんでもアメリカ人が転落したので、このスタイルになったとか。
アメリカ人というのが、妙に納得させられます。
ピン・リバー・クルーズです。
いつも旅の最後にジタバタして、そして詰まらぬしくじりをするのですが、懲りずにまたやっています。
2時間程の舟旅で市街からスーパーハイウェーの辺りまで行って戻ります。
今年は川があふれた後なので、川岸の様子が興味深いものでした。
他人の不幸をおもしろがってはいけませんが。
こうして川の水面から街を見ると、まったく違った見え方になります。
なんとなく川の気持ちになったような気がします。
「どんな気持ちヤ!」と関西弁のつっこみがはいりそうです。
ああ川はこんな風に街を看ているんだと、ただそれだけです。
いなかの川は町と一体になっていますから、町の目線と川の目線はいっしょです。
ミャンマーでは、
ミチナーのエーヤワディ河の渡し舟にしても、
インドージの小舟にしても、
陸から見るのと同じです。
街中の川は歴然と一線を画されています。
ですから目線が違って来ます。
見え方が違えば考えかたも違います。
ですから街の川の考えはわかりません。
人がわからなくなっているだけですが。
「おれはおまえが嫌いだが、おまえがおれを嫌いなのはけしからん。」
街の人間の川に対する気持ちはこのようなもので一方的です。
普段は使いもしないのに、広い土地を占有しているからです。
しかし時たま洪水を起こすということは、川が権利を主張していることで、民法にのっとっています。
昔、我妻栄の本に書いてあると聞いたことがあります。
ですからミャンマーではその時期になると、農民は漁民になります。
私の想像以上に農民と漁民は近い者です。
インレーのインダー族などがそうです。
日本でも半農半漁の村なんてよく聞きました。
最近では牡蠣の養殖業者が森を育てるという話しをテレビで見ました。
去年右の窓側の席でヴェトナムのホイアンや台湾の蘭嶼島の写真が撮れたので、今年も注文しました。
今回の狙いはラオスのメコン河です。
うまく雲が切れているといいのですが。
離陸40分後ひときわ太い茶色の流れが見えて来ました。メコン河です。
場所はサバナケット辺りのはずですが、例の橋は見えません。
その20分後南シナ海が見えました。
左側はダナンのはずです。
次回は左側にしましょう。