踏み切りに引っかかるとは珍しい。交通の要衝ターズィ(Thazi)です。
マンダレーを出発して約3時間後、山道に入ります。ぬかるみを見るとドキッとします。
インマービン(Yinmabin)村を過ぎ、峠の店で昼食です。山羊の肉のビーフジャーキーです。
最初に山の上の町カロウに着きました。高度は1200m、ここでティー・タイムにしました。
山の上に町があるというのが、云南のときのような驚きです。さすがに云南のような大平原と言うわけにはいきませんが。
カロウの看板
分岐点アウンバン(Aungban)を左に曲がると
(セヤマジの知り合いがいるピンデヤに行くためです。真っ直ぐ行くとヘーホ、右はロイコウです。)、
北海道のような風景になります。
ピンデヤは英名でシャン名はパンタラ(Pangtala)です。
畑ではジャガイモやトウモロコシを作っています。ジャガイモの取り入れです。
石灰岩のカルスト地形も見られます。
後で「やはり」と、納得することになりました。
そろそろピンデヤです。「PINDAYA 3880ft」の標識が出て来ました。
ピンデヤのお寺が遠くに見えます
セヤマジの知り合いのお店です。シャンの服を買いました。
竹の筒に入っているのは、お茶の漬け物「ラペッソー」です。
この後、山の寺を案内してもらいました。
山の中腹に建てられたシュエウーミン(Shwe-U Min)寺は、シュエダゴンやマンダレーヒルのようにエレベーターで昇れます。
エレベーターは午後4時で終了でしたが、知り合いが話して電源を入れてもらい、昇りました。
観光客が皆帰った後なので静かです。鍾乳洞の中に作られているお寺で、石筍や石柱の間に、たくさんの仏像があります。
8千だか8万だかあると案内のおじいさんが言っていました。(結局8千以上でした)
入場料3$は1500ksで払いました。
ピンデヤ周辺の山にはお茶の木が植えられ、この辺りは、ラペッソー、ラペッチャウの産地です。
「ラペッ」はお茶、「ソー」は湿った、「チャウ」は乾いたという意味です。
入り口の土産物屋では何とPhotoCDを売っていました。
値段を聞くと2000ks(約4$)。買うしかないでしょう。
何が写っているか楽しみです。
このお寺は一晩中ライトアップされていました。
このあたりには発電所があり、ミャンマーの電気の幹線路で送電線の鉄塔が続いています。
ですから電気は比較的有る方だそうです。
確かにホテルに自家発電の設備はないようです。
といっても実感出来るほどではありませんでした。
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早朝インレー(Inle)に向い出発しました。
ここで鉄道がループしています。これが向こうでグルッと回って、
インレー北岸のニャウンシュエ(Nyaungshwe)の町です。
ボートを頼んで出港です。
が、イミグレがあってエリア・タックス3$を払わなければなりません。
チャットはダメでした。いろいろな所でドルが要ります。
インレーとインドージはどちらが大きいのかいつも聞くのですが、
答えは人により様々で、概してカチン州の人間はインドージの方が、少し大きいと言います。(あたりまえか!)
彼らによるとミャンマー三大湖は、
1.インドージ
2.インレー
3.インドレー
だそうです。
因みにインは湖のことですから、インレー湖というのは、
マウント富士山というようなもので変なのですが、
ポスターにはINLAY LAKEと書いてあります。
一応インドージの方も直します。
確かに足の方が力は出るでしょうが、静かな湖ならではの漕ぎ方です。それにしても見事なバランスです。
船頭さんもインダー族ですから、着岸の時など細かい操作には足漕ぎをします。
インレーは完全に観光地化され、観光ボートが行き交い、
湖畔にはホテルが多く、ファランのパックツアーが大勢来ています。
ですからホテルは30$以上と高いですし、観光ボートは例の通り、
お土産屋とセットで、織物工場、鍛冶屋、銀細工工場などに寄ります。
織物工場で丁度織り上がったばかりの、手織りの絹の布がとても奇麗だったので買いました。
裾の処理をしてもらい完成しました。
値段はセヤマジが交渉してくれましたが、6000ks(10$)とこちらではそれなりのものです。
でも日本人はこの値段なら大喜びです。
アルードーポッ寺でお経をあげているのは、ボー族の団体さんです。east
本当に素晴らしいバランスです。接岸の際など船首に移るときはこの船縁を歩いて行きます。
地図が架かっていました。下のほうの擦れて光っているところが現在地です。
フォンドウゼジーの仏は金箔で金の塊になっています。
この仏だけは撮影禁止(他は撮影料100ksで写せます)ですが、
セヤマジと話しをしていた係りのおじさんが写していいと言いました。
ビックリして思わず聞き返しました。ミャンマー人と一緒に旅行すると便利です。
お陰で五つ揃ったところを大きく撮れました。
ニョペーチョウン(Nga Hpe Chaung)寺の坊主はミャンマーには珍しく、観光客に猫の曲芸を見せて写真を撮らせるなど、
サービス精神旺盛ですが、気が乗らず撮りませんでした。
ファラン(欧米人、タイ語ですが)の女が煙草片手にお坊さんの横に座り、くっちゃべっています。
この国の人達はお坊さんにそんな態度は取りません。
お坊さんがイスに座り、自分はその前に正座(ミャンマー風ですが)します。
特に女性はお参りでも仏の近くには寄れません。境界線があります。セヤマジもきちんと守っています。
女性蔑視とかの話しではなく文化なのです。
他国の文化を尊重しないのは野蛮人です。
この国が好きなのは、文化を守っているからです。
ロンジー、タナカー、その他もろもろ。
やがて彼らもこれらを捨てる時がくるかもしれません。
しかしそれは彼らが決めることです。
ファランが壊すことではありません。
それまではそんな態度は取るべきではありません。
勿論、同じにしろとは言いません、
それなりの態度で結構です。
早々に退散しました。
ニョペーチョウン寺。お参りの様子はこんな具合です。
シャン族の王様の居城は博物館(Shan State Cultural Institute)になっています。
入場料2$は1200ksで払いました。(ピンデヤは3$=1500ksだったのに)
消え去った世界〜あるシャン藩王女の個人史〜、訳者の森博行さんが
このホームページを見てくださり、この写真に説明を加えてくださいました。
森さんのお許しを頂き、以下に引用します。
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ニャウンシュエ(ビルマ名称)はヨンホェです。そのソーボワ屋敷の元主人は、ビル
マ連邦初代大統領を務め1962年のクーデタの日、ラングーンで拘束され同年秋に獄死
(これも軍による処刑の噂がある)したヨンホェソーボワサオ・シュエ・タイクで
す。(貴兄が肖像画を写真を撮られています。尚、33人の名前はヨンホェ藩の33代の
ソーボワですね。)
ちなみにロックソックは現在ビルマ名のヤソークと呼ばれているようです。ご存知と
は思いますが、メイミョーはピンウーリンになりました。
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ソーボワ(SAWBWA)は藩王のことです
森さんが今年4月にチェントゥンを訪れた旅行記『シャン州東部(チェントゥン・モンラー)旅行記』第6編までが
「メコンプラザ」というサイトに掲載されています。
http://www.mekong.ne.jp
特に第6編のモンラーはディープ・シャンとでも言える地域でたいへん興味深いものです。勿論私も行った事がありません。
http://www.mekong.ne.jp/books/nonfiction/020801.htm
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タウンジー(Taunggyi)はさらに上がり標高は1345mになりました。
近くの山の頂上にあるシュエポウンプエ寺は標高1675mで、タウンジーの町が一望できます。
確かイタリアのフィレンツェが赤いレンガの街並みから、バラ色の街とかなんとか呼ばれると聞いたことがありますが、
それにそっくりです。
ただしこちらは赤く塗ったトタン屋根です。
貧しいからとか、そういうことではなく、涼しいからそれで十分なのです。
夕食を食べに行ったレストランの壁に貼ってあったポスターです。懐かしいです。麗江です。
ホテル近くのお寺(Min Kyaung Monastery)に散歩しました。
町外れのお寺(Mingun Monastery)
市場(Myoma Market)で買い物です。春巻きなどを買いました。
マンダレービールで一人の宴会。ミチナーからずーっと一人の食事はなかったので、ちょっと寂しい。
タウンジーからエアマンダレーのリムジンでヘーホ空港まで約1時間、そして時間通りのフライト。
まるで軽井沢から新幹線で帰るような旅です。(やったことはありませんが)