カクー(Kakku)

(写真88枚)
カクーの遺跡については、森博行さんの、「シャン州を訪ねる (2004年4月26日‐5月7日)」
http://www51.tok2.com/home/cafemondiale/
を見て知り、行ってみたものですから、詳しくはそちらを見ていただくとして、 私なりにまとめてみます。
カクー(Kakku)はパオー族の元反政府勢力PNO(Pa-O National Organization)の支配地域にあり、 ヤンゴン政府も一定程度の自治を認めていますから、PNOの許可を得なければなりません。
といってもそんなに難しいことではなく、 車をチャーターしてタウンジー市内にあるPNOの事務所へ行き、 入域料3$とガイド料5$を払い込んで申し込みます。 するとパオーの民族衣装を着たガイド嬢が、 車に同乗して案内してくれます。 事務所は新築の立派なビルにあり、吃驚しました。 位置関係から私の宿泊先のホテルから、 そう遠くないようでしたから、 後でホテルの窓から見たらありました。 事務所は他にインレとヤンゴンにもあるようです。

1 thm_n13028.jpg タウンジー市内にあるPNO事務所の入っているビル

2 thm_n11015.jpg PNO事務所内

森さんの話しには「とげの長いハリネズミ」の伝説がありますが、私が同じようにパオーのガイドから聞いた伝説は、 龍が2つの卵を産み、それがパオーとカレンになったという、いわゆる「卵生神話」でした。 パオーの言葉でパは分かれる、オーは生まれるという意味だそうです。
卵生神話は南方起源の神話ですから、雲南などの北方を出自とするシャン族やビルマ族とは全く別の民族だということがわかります。
当然言葉も違っていて、ガイドに聞いたところ、例えば数字は次のように違っています。
    パオー語    ビルマ語    シャン語
1   タバァ     ティ      ヌン
2   ニィ      ニッ      ソーン
3   ソム      トウン     サーム
4   リッ      リェ      シー
5   ンガ      ンガ      ハッ
6   スー      チャウ     ホック
7   ヌッ      クニッ     チェ
8   スワッ     シー      ペー
9   グッ      コー      ガーオ
10  チィ      タセ      シップ

3 r3001.jpg 日本の援助で作られたパオーの村で、風力発電と太陽光電池で照明が点きます。

4 r3004.jpg 左に太陽光電池

5 thm_n11018.jpg 家族

6 thm_n11019.jpg 煙草作り。左のむろで醗酵させています。丸い座布団のような物は重しです。

7 n11020.jpg 奥に煙草の葉が積まれています。

8 thm_n11021.jpg パオーはシャンと違うのに、竹の高床式住居は同じで2階に囲炉裏があります。

9 r3014.jpg カクーが見えてきました。

10 r3019.jpg 地図

11 r3021.jpg 数百本のパゴダが林立しています。

12 r3033.jpg 木が絡む塔

13 r3105.jpg パオー族はカレン族(ミャンマーではカイン族)に近いモン・クメール語族ですから、 タイ・カダイ語族のシャン族とはかなり違う民族のため、境界を設けて住み分けていたようです。森さんの話しにも、「カクー(Kakku)の地名は、パオー語で境界の意味がありヨンホェ(ニャウンシュエ)領とシサイ(シーセン)領の境だ」とあります。
また、「遺跡奥の主塔の裏にまわると、高台になった遺跡の下から東に向かって水田が広がる山間盆地が開け、そこはシサイのムアン(盆地低部で水稲耕作を行なうタイ(Tai)族を中心に、周辺の山地民との市場での相互補完的交換を含んだ政治・経済・社会的まとまり)世界だと実感できる。」と続きます。

14 r3123.jpg 西暦1200年頃の寄進板

15 r3125.jpg 改めて全景

16 thm_n11022.jpg 森さんの話しでは「カクーはワットグーとも言い、グーはパオー語の豚で、草に埋もれた遺跡を豚が見つけた説話があるそうだ。」とありますが、その金の豚の置物です。

17 r3133.jpg ピーナツ

18 r3135.jpg タウンジー駅のディーゼル車

19 r3136.jpg タウンジー駅駅舎

掲載予定

ゴールデンバニヤン
インドから持って来た本場物


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その他いろいろ


チャイントン(Kengtung)

20 thm_n01007.jpg バンコク空港をこれから出発するタイエア機と、

21 thm_n01018.jpg ヤンゴン空港に到着したタイエア機。回りの風景が一変します。

22 thm_n07034.jpg チャイントン・ニュー・ホテルに珍しく客が一杯です。 タイから大型観光バスでツアーがやって来ました。 タチレクからは3時間から3時間半くらいで、インレーに行って来たそうです。 このあたりはミャンマー人には僻地ですが、チャイントンはタイ、モンラーは中国の観光客で賑やかです。

23 n10003.jpg アカの村

24 n10008.jpg 去年アカ族の正装写真を撮らせてもらったおばあさんに写真を渡しました。お孫さんと記念写真です。

25 n10012.jpg 地面に置かれたものが何かと思ったら着生ランの球根でした。

26 n10013.jpg こうして木の上に置くと発芽します。

27 n10016.jpg 薬用として中国に輸出されるそうです。

28 thm_n10011.jpg アカ村の水牛

29 n10017.jpg ホットスパ

30 n10018.jpg 売店

31 n10020.jpg 噴出しています。

32 n10023.jpg たまごとメン

33 n10025.jpg 個室

34 n10027.jpg 湯船

35 thm_n10033.jpg チャイントン空港を出発。


チャイントン飛行場前の茶店で、 ガイドのサイ・トゥンさんと記念撮影しようとして、 運転手さんにシャッターを頼むと、サイ・トゥンさんが、 彼は片目が悪いから他の人に頼もうと言います。 今までずっと彼の運転で行ってたので、よくまあ無事だったなあと思いました。

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モンラー(MongLa)

36 n09017.jpg モンラのイミグレ

37 n09018.jpg 国境と丘の上の寺

38 r2904.jpg 中国との国境

39 r2909.jpg 中国側の町ダールー(Daluo 打洛)

40 r2915.jpg 芥子栽培博物館(Opium Museum)

41 thm_n09032.jpg ウ・サイリンとキン・ニュンの看板が変わっていました。 タン・シュエとの確執が噂されていましたが、ついに更迭されてしまいました。 来年行ったら無くなっているでしょう。 ニュースでは、2004年10月19日首相拘束の一報、2004年10月20日病気のため辞任と政府発表。

42 n09023.jpg 去年入らなかったおかま(人妖)ショーとエレファント・ショーとクロコダイル・ショーが セットになっているレジャーセンターに入りました。 タイでお馴染みのショーですが、家族連れの中国人観光客に受けていました。 ここは景洪から近いので、中国人観光ツアーになっていて、 町では人民幣しか通用しません。

43 n09024.jpg おかまショー

44 n09025.jpg おかまショー

45 r2916.jpg ショーの後モデルさん達が外に出て来て撮影会となります。

46 r2922.jpg エレファント

47 n09028.jpg 象に乗せる

48 n09031.jpg ワニ

49 r2931.jpg クロコダイル

50 r2933.jpg

51 r2936.jpg

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ピンデヤ(PINDAYA)

52 n11028.jpg

53 r3206.jpg 途中の村(PWE HLA)

54 r3213.jpg キャベツの集積所。キャベツの他に中国野菜のターツァイのようなものもあります。

55 r3231.jpg 蜘蛛退治の伝説を表す看板。 7人の王女がピンデヤ湖で水浴びをしていたが、 暗くなり帰り道がわからなくなったので、 洞窟で夜が明けるのを待つことにした。 ところが大きな蜘蛛が洞窟の入り口を塞いでしまった。 王女たちの助けを求める声を、 近くを通りかかった王子が聞きつけ、 洞窟の入り口を開けようとすると蜘蛛が現れた。 王子はその蜘蛛を倒し、 王女たちを助け出し、 一番若く最も美しい王女と結婚し幸せに暮らした。 王子が蜘蛛を倒したときに、「PinkーYa」と叫んだ (Pink=蜘蛛、Ya=get、蜘蛛をやっつけたぞの意)ことが 地名の由来となった。

56 r3327.jpg 洞窟入り口の休憩所。左の階段を上ると洞窟です。

57 thm_n11036.jpg 洞窟を入った所にパヤーが建てられています。 天井から水が滴り落ちるのでビニールシートが張られています。

58 r3325.jpg 洞窟内仏像。

59 n11033.jpg 石柱

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インレー(INLE)

60 r3402.jpg ニャウンシュエ近くの田植え風景

61 thm_n12002.jpg 網を使う漁船

62 thm_n12005.jpg 水位計は10.8を示す。1ft=30.48cmとして329.184cm。ちなみに去年は8.0でした。

63 n12013.jpg フォンド

64 n12014.jpg カラウェ

65 n12015.jpg 金箔

66 n12019.jpg 八伝図マヤ夫人

67 n12020.jpg 八伝図

68 n12023.jpg 女人禁制

69 n12026.jpg アルードー

70 n12027.jpg 大日如来

71 r3428.jpg アルードーポッの境内でサッカーをする少年達。

72 n12030.jpg アルードーポッからみたフォンドーウウは丁度真西に見えます
浮畑付近の水はまっ黒で、いかにも養分が豊富そうな感じです。 黒土ならぬ黒水です。

73 n12031.jpg ガペー

74 n12033.jpg 猫ジャンプ

75 n12035.jpg 玉座

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タウンジー(TAUNGGYI)

76 thm_n13002.jpg 山の上のお寺シュエポウンウェからよく見えたサッカー場です。

77 thm_n13004.jpg サッカー場の裏手にあるインターネットができるipstarというお店。 ただし電気が来てるときだけで、このときは午後1時半でした。

78 n13008.jpg シャン博物館

79 thm_n13009.jpg タウンジのシャン博物館

80 thm_n13010.jpg 2階の広間にパンロン協定の絵が架けられていました。 前列左側の軍服姿がビルマ族代表のアウン・サン将軍 (日本ではアウンサンスーチーさんのお父さんと言った方が通りがよいかも)。 前列中央がシャン族代表の一人で、1948年1月4日の独立時に、 初代ビルマ大統領に就任しますが、 1962年3月のクーデターで逮捕され、後に獄死した ニャウンシュエ藩ソーボワのサオ・シュエ・タイクです。
その屋敷はインレ湖畔のニャウンシュエに同じくシャン州博物館となっており、 中には彼の肖像画が飾られています。

81 thm_n13017.jpg シャン州ゲストハウスはかってタウンジ・ソーボワの屋敷でした。

82 n13018.jpg ゲストハウス本館

83 n13019.jpg 温室

84 n13020.jpg ホテル

85 n13021.jpg 雨の市場

86 n13023.jpg 野菜

87 n13027.jpg

88 n13029.jpg 夜店の屋台

掲載予定
タウンジへの道は拡張工事が済んで、車は時速60kmで進みます。
ロックソックへはシュエニャンから行くそうです。
陸稲の畠
キャベツのトラックはマンダレーやヤンゴンへ行くそうです。
水路は真南に向かっています。

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卵生神話は日本にもあります。(資料編shou227卵生神話より)
「古事記」
 「かれ、この女人、その昼寝したりし時より、妊身(はら)みて、赤玉を生みぬ」
身分の低い女が昼寝をしている時、日の光が虹のようにその女にさし、そして赤い玉を生んだ。それを新羅の国王の子である天の日矛(あめのひぼこ)が人伝に手に入れ、床に置いておいたら美しい女の子が生まれたのである。そして、天の日矛は、その女の子をやがて妻とした。
朝鮮半島にもありますが、ここには2系統の卵生神話があります。一つは高句麗(コグリョ)と百済(ペグジェ)の、狩猟民から農耕民に移行した民族のもの。そしてもう一つは駕洛(カラ)と新羅(シルラ)の、もともと農耕民だった民族のものです。
高句麗はツングース系わい族で、百済は扶余-東扶余-馬韓ときていますから、もとは扶余というツングース系になります。
扶余「後漢書」と百済「北史」には東明神話があり、高句麗「魏書」には朱蒙王の神話がありますが、これは東明神話にもとづいて後世につくられたとみられます。
北方の遊牧狩猟民族の神話は始祖を聖獣とみるもので、アルタイ語族のチュルク、高車、突蕨(くさかんむりなし)では狼、ご存じヂンギスハンは蒼き狼で妻は牝鹿です。そして扶余は鹿を意味します。
ところが卵生神話は南方的要素が強いものです。従って朝鮮では両者が混在したため北方的要素も残ってしまったようです。東明王や朱蒙王は弓の名人であることや、天上の気や日光に感生して妊むという感生神話などがその表れです。モンゴル系の鮮卑の檀石塊(きへん)は霰が口に入り身篭って生まれたとされます。
除国の卵生神話には王の宮人が妊んで卵を生むというのがあります。
除---扶余---百済
|      |
+----------高句麗
と伝わって行ったようですが、除は東夷ですから、近接する東夷を参考にしたものと思われます。


卵生神話は商(殷)のものが最古のものですが、そこに至る経緯については次のように考えられます。
漢族が黄河上流域に移動。 黄河中・下流域には強盛な苗族が居た。
  ↓
BC2000年頃、漢族が苗族を討って、中原(黄河中流域)に進出し、夏国を建てる。初代 (う)王。敗れた苗族が南下。
  ↓
長江中流域(洞庭湖〜は陽湖)→後に楚
  ↓
苗族の南下により、長江全域に居た倭族が東と西に分断される。(BC2世紀頃)
 上流域「倭(wo)人」
 下流域「越(wo)人」(河姆渡の子孫)→後に東夷
 上古音では類音異字(日本では越智氏)
  ↓
越人は長江下流域から、粟・黍を主食とする大もん口文化(遺跡C14で5785年前)の土着の民族を討ちながら北上して、山東半島に至り、東夷と呼ばれる。
  ↓
商(殷)を建国

漢族は中央アジアの部族と考えられるという魅力的な説もありますが、2000年11月10日の新聞報道によると、11月9日に「夏商周断代工程」研究計画(1996年スタート)の発表があり、夏、商、周の成立年代が確定しました。 夏はBC2070年に云南のチベット・ビルマ語族系タイ族が、商はBC1600年に三苗(苗族、メオ族)が、そして周はBC1046年北方のアルタイ語系遊牧民(秦、四川のてい族)が興したとされました。
そこで
倭族------------殷-----周
長江下流稲作  黄河 北燕
            |
    扶余が征服-----ツングースに影響
            東北畑作
という経路が考えられます。
射日神話−殷の十日神話=十干
招日神話を前段とする
世界樹
太陽樹=扶桑=若木→門松
 ↑
鳥で象徴→鳥竿=ソッテ=蘇塗(そと)
左右にチャンスン(将軍像)
太陽=鏡=鏡餅
卵生神話

河姆渡遺跡  太陽を抱く双鳥=鳥霊信仰→架(とうてつ)に変化
 チガヤ信仰
 注連縄(しめなわ)