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日本の援助で作られたパオーの村で、風力発電と太陽光電池で照明が点きます。
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煙草作り。左のむろで醗酵させています。丸い座布団のような物は重しです。
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パオーはシャンと違うのに、竹の高床式住居は同じで2階に囲炉裏があります。
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パオー族はカレン族(ミャンマーではカイン族)に近いモン・クメール語族ですから、
タイ・カダイ語族のシャン族とはかなり違う民族のため、境界を設けて住み分けていたようです。森さんの話しにも、「カクー(Kakku)の地名は、パオー語で境界の意味がありヨンホェ(ニャウンシュエ)領とシサイ(シーセン)領の境だ」とあります。
また、「遺跡奥の主塔の裏にまわると、高台になった遺跡の下から東に向かって水田が広がる山間盆地が開け、そこはシサイのムアン(盆地低部で水稲耕作を行なうタイ(Tai)族を中心に、周辺の山地民との市場での相互補完的交換を含んだ政治・経済・社会的まとまり)世界だと実感できる。」と続きます。
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森さんの話しでは「カクーはワットグーとも言い、グーはパオー語の豚で、草に埋もれた遺跡を豚が見つけた説話があるそうだ。」とありますが、その金の豚の置物です。
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ヤンゴン空港に到着したタイエア機。回りの風景が一変します。
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チャイントン・ニュー・ホテルに珍しく客が一杯です。
タイから大型観光バスでツアーがやって来ました。
タチレクからは3時間から3時間半くらいで、インレーに行って来たそうです。
このあたりはミャンマー人には僻地ですが、チャイントンはタイ、モンラーは中国の観光客で賑やかです。
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去年アカ族の正装写真を撮らせてもらったおばあさんに写真を渡しました。お孫さんと記念写真です。
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地面に置かれたものが何かと思ったら着生ランの球根でした。
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ウ・サイリンとキン・ニュンの看板が変わっていました。
タン・シュエとの確執が噂されていましたが、ついに更迭されてしまいました。
来年行ったら無くなっているでしょう。
ニュースでは、2004年10月19日首相拘束の一報、2004年10月20日病気のため辞任と政府発表。
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去年入らなかったおかま(人妖)ショーとエレファント・ショーとクロコダイル・ショーが
セットになっているレジャーセンターに入りました。
タイでお馴染みのショーですが、家族連れの中国人観光客に受けていました。
ここは景洪から近いので、中国人観光ツアーになっていて、
町では人民幣しか通用しません。
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ショーの後モデルさん達が外に出て来て撮影会となります。
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キャベツの集積所。キャベツの他に中国野菜のターツァイのようなものもあります。
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蜘蛛退治の伝説を表す看板。
7人の王女がピンデヤ湖で水浴びをしていたが、
暗くなり帰り道がわからなくなったので、
洞窟で夜が明けるのを待つことにした。
ところが大きな蜘蛛が洞窟の入り口を塞いでしまった。
王女たちの助けを求める声を、
近くを通りかかった王子が聞きつけ、
洞窟の入り口を開けようとすると蜘蛛が現れた。
王子はその蜘蛛を倒し、
王女たちを助け出し、
一番若く最も美しい王女と結婚し幸せに暮らした。
王子が蜘蛛を倒したときに、「PinkーYa」と叫んだ
(Pink=蜘蛛、Ya=get、蜘蛛をやっつけたぞの意)ことが
地名の由来となった。
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洞窟を入った所にパヤーが建てられています。
天井から水が滴り落ちるのでビニールシートが張られています。
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水位計は10.8を示す。1ft=30.48cmとして329.184cm。ちなみに去年は8.0でした。
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アルードーポッからみたフォンドーウウは丁度真西に見えます
浮畑付近の水はまっ黒で、いかにも養分が豊富そうな感じです。
黒土ならぬ黒水です。
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山の上のお寺シュエポウンウェからよく見えたサッカー場です。
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サッカー場の裏手にあるインターネットができるipstarというお店。
ただし電気が来てるときだけで、このときは午後1時半でした。
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タウンジのシャン博物館
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2階の広間にパンロン協定の絵が架けられていました。
前列左側の軍服姿がビルマ族代表のアウン・サン将軍
(日本ではアウンサンスーチーさんのお父さんと言った方が通りがよいかも)。
前列中央がシャン族代表の一人で、1948年1月4日の独立時に、
初代ビルマ大統領に就任しますが、
1962年3月のクーデターで逮捕され、後に獄死した
ニャウンシュエ藩ソーボワのサオ・シュエ・タイクです。
その屋敷はインレ湖畔のニャウンシュエに同じくシャン州博物館となっており、
中には彼の肖像画が飾られています。
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シャン州ゲストハウスはかってタウンジ・ソーボワの屋敷でした。