釈迦成道の地・仏陀伽耶はGayaの郊外にあるが、 世界中の仏教徒がお参りに来るので、 今はこちらの方が賑やかになっている。
1 夜8:14にコルカタをバスで出発し、
翌日午前11:20にボドガヤ到着という15時間の夜行バスの旅、
80歳のおばあさんも居るのに。
ところがこのばあさん連中、夜の10時頃ドライブインで、
遅い夕食のカレーをお代わりしていた。
2 先ほど書いた、夜の10時頃のドライブインに停車中の我々のバス。幹線道路でもこの暗さ。
4 タウンジーから参加の3人のおばあさんのうち写真の2人は78歳と79歳。
9 このラクダは北部の砂漠地帯で飼われていたものを、祭りの時期に町に行って売るのだそうだ。
10 ガヤ(Gaya)の看板が見えてきた。
ガヤはビハール(BIHAR)州の州都で、郊外にボドガヤ(Bodh Gaya)がある。
昼飯を食べてガイド、おじいさんと銀行(STATE BANK OF INDIA BODH GAYA BRANCH)
に両替に行く。単位はRs(ルピー)でレートは、
US$ TC 44.95Rs
US$ cash 44.75Rs
JPY100 40.00Rs
BATH100 106.35Rs
日本円を1万円両替して40000Rs。
おじいさんは皆の分1700ドルを越える額を両替しようとしたら、
リミットが1500ドルまでなのでできず、
越えた分を私のパスポートで両替した。
11
3時半から6時まで初参拝。
苦行の無意味さを悟った釈迦は、
ナイランジャナー河で沐浴した後、
ピッパラ樹(のちに菩提樹と呼ばれる)の下に、
一農夫スヴァスティカが差し出したクシャ(茅草)に、
結かふ座し瞑想に入る。金剛宝座と呼ばれる。
12 大精舎・マハポジ(高さ50m弱、四角錐、6〜14世紀)は補修工事中で足場が組まれる。
13 ミャンマーの人たちは、仏足石に糊をつけて金箔を貼りつける。
16 遠くに前正覚山(ぜんしょうがくさん)。前正覚山のそばにはガヤー・シールサ(象頭山)。
21 バスで前正覚山(ぜんしょうがくさん)の麓まで行き、歩いてチベット寺院まで登る。
22 登ってきた山道を振り返る。
この山道を帰る時にズラリと物乞いの列ができていた。
それも10人、20人じゃきかず、数十人はいる。
皆は売店でビスケットを買って配りながら降りて行く。
27 インドのサイカー。座席が後ろにあり、ミャンマの横、ヴェトナムの前と好対照。
35 苦行を終えた釈迦にセナーニ村の長者の娘スジャーターが
乳粥を差し上げた場所に建てられた寺でお坊さんの話しを聞く。
3/7にTBSの道浪漫でこの乳粥の作り方が出てきた。
乳粥を土地の人はキールと呼び、素焼きの土鍋に水牛の乳を入れ、香辛料カルダモン、米、砂糖を加えて炊く。
燃料は牛糞で、この火加減が丁度いいそうだ。
試食した宮本亜門はまさにライスプディングだと言っていた。
37 今日は朝のお参りにつきあう。
ここの仏教は出入り自由で、
いろんな奴がいろんなスタイルで拝みに来る。
女も側まで寄れるので、
セヤマジがまん前でお祈りしている。
親鸞も毛坊主達の中に交じって、
同じような経験をしたのではないかと思う。
念仏の声がグワーンと響く。
洞窟の反響する効果を狙ったものか?
原始の意識が目覚めるのかも。
と思ったらアンプだった。
6時に夕食が終わるとそのまま
マハポジにお参りに行くという
外に出てみたらほんの少し雨が降っていた
そしたらとたんに行くのは止めにしてしまった
風邪を引いたら大変というわけだ
いいやねえこの自由さが
ボランティアで過労死をだす国とはおお違いだ
38 ミャンマーから持ってきた衣を寄進するとこうして着せてくれる。この後、持参した数珠を触れさせてもらう。
40 市内のチベット、日本、タイのお寺を廻る。
チベットのお寺にはダライ・ラマの写真があった。
そういえば亡命先だった。
44 日本の寺には鎌倉大仏と周囲に十大弟子の像が立ち並ぶ。
日本人の坊さんがいるということだったが、
日本に帰っているとのこと。
そういや今は稼ぎ時だからかと思う。
留守を守るインドのお坊さんに、
知人が用意してくれた衣を手渡す。
境内の灯篭の寄進者に何故か愛知県人が多い。
56 歩いて宿まで戻る。
宿泊先はミャンマーのお寺の施設ポウンジーチャウン。
ファランも泊まっている。
施設の割に客が少なかったので私は4人ベッドの部屋を独占。