4ミャンマー巡礼団(Buddhist Mission)その後


日程の関係で私は途中で帰らざるを得ませんでした。 その後の日程は知人から聞いており、様子も手紙で行った場所などを知らされていましたが、 地名がミャンマー表記で、日本の表記とは違いますし、 現在インドの地名はコルカタのようにかつてのものと違います。 そのため地図を見ても分からない所がありました。 ただミャンマー表記と言っても、もとはインドの言い方ですから、 古いパーリ語の呼び名だと思います。 異なることに違いありませんが。 写真を見て、ようやく判りました。 またネガを借りましたのでその写真を載せます。

1 thm_n02004.jpg 苦行を終えた釈迦に乳粥を差し上げるセナーニ村の長者の娘スジャーター。

2 thm_n02012.jpg ブッダガヤ市内のチベットのお寺に飾られたダライ・ラマの写真。

3 thm_n03011.jpg 仏陀が瞑想した金剛宝座とピッパラ樹(のちに菩提樹と呼ばれる)。

4 thm_n05025.jpg ベナレスの沐浴場(ガート)。

5 thm_n06006.jpg ミガラウォウからターウィッティ(THAWAITDI)へ347km、AM7:30-PM4:30。
途中ヒンズー教の聖地アヨウダヤ(AYUDAYA)に寄る。ハヌマ(猿)の神。
ターウィッティはシュラーヴァスティのことで、 仏教ではサヘート・マヘート(祇園精舎と舎衛城)といい、 コーサラ国の首都でした。 仏陀がジャイナ教などの批判に応え、雨安居(うあんご)を始めた所です。 7つの学校があるそうです。
ターウィッティが祇園精舎というのが、当初結び付きませんでした。 聖地巡礼ですから当然祇園精舎に行くはずです。 晩年の25年間、雨安居を過ごしたと言いますし、 ここしか該当する場所がないのですが、 地図を見るとちょっと遠すぎる感じで、 おばあさん達が本当にここまで来たのか疑問でした。
決め手は今回見せてもらった写真の中に、 日航ホテルがあったことです。 日航ホテルがあるということは祇園精舎に決まっています。

6 thm_n06010.jpg 実際に猿がいます。

7 thm_n06012.jpg 曰くのある木だと思うのですが?

8 thm_n06014.jpg 数少ないインドの仏僧です。

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16 thm_n07013.jpg ターウィッティからロンムニへ221km、
AM11:30出発、PM5:00ニポール(ネパール)入国、そこから26kmのルンビニPM6:30着。

17 thm_n07016.jpg ロンムニ(ルンビニ・藍毘尼)は仏陀生誕の地で、 誕生はBC566年(ミャンマーの本ではBC623年)。 現在はネパール・パダリア村のヒッパル樹(無憂樹)の下。 釈迦の母マーヤー(摩耶)夫人(ぶにん)が安産だったことから無憂と呼ばれる。 父スッドーダナ(浄飯)王はコーサラ国傘下の地方小国の君主。
この頃の北インドはマガダ16国と言う小国乱立の時代。 マガダ国(首都ラージャグリハ)、ヴァツア国(コウシャンビーKAUSHAMBI)、 コーサラ国(シュラーヴァスティ)が勢力を持ち、 他にカーシ国(バーラナシー)、アンガ国(チャンパー)、 ヴァッシー国(ヴァイシャーリー)、マッラ国などがある。 紀元前5世紀頃(BC5)マガダ国により統一される。
カピラ(迦毘羅)城跡には日本の造った寺があり、 中には仏足跡があります。

18 thm_n07022.jpg 初登場。本場のインド象です。

19 thm_n07026.jpg ロンムニからクッティナーへAM8-PM8
クッティナー(クシナガラ・KUSHINAGAR・拘戸那掲羅)あるいは、 クシーナエン(KUTINAYOU)は入滅の地でBC486年80歳とされています。 (タイではBC543年で、タイ暦はここから数えるので今年は2547年です)
釣り鐘状のドームを持つ寺の中に涅槃仏が安置されています。


最後に渡ったカティタ川
荼毘に付した所に煉瓦造りの平たいドーム状の建造物(ストゥーパ?)

20 thm_n07025.jpg 寺の中の涅槃仏に掛けられた金色の衣を皆で分け合い持ち帰り、 セヤマジは自分の家の仏壇に置かれた仏像に着せていました。 私も切れ端をもらいました。

21 thm_n08001.jpg クッティナーAM7からウィターリーPM2(ヤージャヴィサカリ)を経てパタナPM6へ(232km)
パタナにミャンマーのお寺があるのでそこに宿泊。
ウィターリー(ヴァイシャーリー)はヴァッジ国にあり、パトナーの北40km余のバサール村で、 仏陀に会いに来てマンゴー園を寄進した遊女アームラパーリー(娼婦アンババーリ)を祝福し食事を共にされたという伝説など、 仏陀の話しが多く残されている所です。

22 thm_n08002.jpg 世界平和仏舎利塔

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24 thm_n08016.jpg パタナ(PATANA)から101kmヤーザジョウ(ヤージャギイ)AM7-AM12
ラージュギル(ラージャグリハ、説法と修行の地)はマガダの首都で、 国王ビンビサーラは仏陀の止住するヤスティ・ヴァナ(杖林)を訪問し、 城の北のヴェヌ・ヴァナ(竹林園)を最初の精舎(竹林精舎)として寄進した。 (一説ではラージャグリハの長者カランダの寄進)
五山のひとつ霊鷲山頂上のわずかな平地が修行の場といわれる。 ナーランダ大学があります。

25 thm_n08017.jpg グリドラ・クータ山(老の下に日、門の中に者、堀の山扁、山ぎじゃくつさん、霊鷲山) ゲーザゴッタ山(霊鷲山)には一人乗りのゴンドラがあり、山の上に行けます。 山の上には日本の寺があります。

26 thm_n08019.jpg ウェイボンラータ山は瞑想した所ですが、現在は石だけです。 シャーリプトラ、マウドガルヤーヤーナの二大弟子



ヤーザジョからコルカタまで542kmを一気に戻ります。
朝7時に出発し、その日の内には着かず、 深夜1時到着という18時間の最長のバスの旅となったそうです。
ミャマー国内の移動で似たようなことをやっているとはいえ (例えば汽車でミチナーからマンダレーへは、 朝9時発の翌朝午後2時着の29時間です)、 おばあさん達には苦しい旅だったことでしょう。

予定通りコルカタに無事帰りついたとメールが来ていました。 この日は終日コルカタで買い物などをして、 翌日午前10時頃の飛行機でコルカタの空港を出発し、 1時頃ヤンゴン着予定とのことです。
さらにヤンゴンの寄宿先の息子がパソコンを持っており、メールが来ました。 おばあさん達は全員元気に帰り着いたようです。 タウンジのおとうさんは一人ニューデリーに観光に行ったそうです。

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