ミャンマー紀行解説

 ビルマ(現ミャンマー)は多くの問題を抱えていますが、国民性は穏やかで健全です。 アジアにはこういう国が多いのです。 首都ラングーン(現ヤンゴン)のシュエダゴンパゴダは言い伝えでは2500年の歴史があるそうです。 なお軍事政権を認めていないイギリス(アウンサンスーチーさんの夫の国ですから)はミャンマーといわずビルマ、 同様にヤンゴンといわずにラングーンと言っていますが、ビルマは別にビルマ族だけの国ではないのですから (東のタイ国境にかけてカレン族、西の山岳地帯にアラカン族、そして北にカチン族と少数民族問題を抱えています)、 むしろミャンマーの方が適当なのですが、さりとて軍事政権のミャンマーも国民を代表しているとは言いがたいので、 この国にはいい名前がないのです。

ミャンマー(Myanmar)はビルマ族だけの国ではないので、バーマ(Burma)をミャンマーにしたと書きましたが、 バーマ(Bama)もミャンマ(Myanma)も狭義の意味でのビルマ族のことで、 その違いはバーマが口語的で、ミャンマが文語的くらいのものだそうです。 「参考文献」エクスプレスビルマ語、加藤昌彦、白水社、1998年。 となるとますますこの国にはいい名前がありません。 ただビルマ族化は確実に進んでいると思われます。中国で漢族化が進んでいると同じように。 こうして少数民族は都合よく利用されて(シドニーオリンピックのアボリジニのように)消えてゆくのでしょうか。 という本人がかって弧状列島の先住民族を追いやった者達の末裔ですが。

ミャンマー入国税(いわゆる強制両替)がUS300$から US200$に値下がりしました。 その後撤廃されました。

ヤンゴン

シュエ・ダゴン・パゴダのシュエは黄金の意で、 ダゴンは古くからの聖地で、モン族の拠点だった所です。 パゴダはシンハリ語のダーゴバを西洋人が転訛した言い方を、 外国人がそのまま使ったもので、ビルマ人は使いません。 ダーゴバはサンスクリット語のダートゥ・ガルバーからきていて、 仏舎利塔のことですが、仏舎利塔は仏陀自身を象徴しています。 そこでビルマ語で仏舎利塔はゼーディーですが、 仏陀を表すパヤーと呼ぶことが多いのです。 パゴダと寺院の区別は曖昧ですが、寺院はチャウンといい、 パヤー・チャウンとポウンジー・チャウン(僧院)があります。

マンダレー

北にミャンマー第二の都市マンダレーがあります。 ここは1885年イギリスに植民地化されるまで最後の王朝があったところです。 その南に仏教遺跡パガンがあります。ここはビルマ族最初の統一王朝であるパガン王朝の都で、 11〜13世紀にかけて5000を越すパゴダや寺院が建立され、そのために経済が疲弊し、 そこをフビライの元軍に浸かれ1287年に滅亡します。 さらに北の中国国境まで100kmのところに少数民族の町ミチナーがあります。 そしてこれらは皆ミャンマー第一の河、イラワジ河(Irrawaddy River、今はエーヤワディ=Ayeyarwaddyと表記します。全長約2400km) に沿っています。

ミチナー

 少数民族の町ミチナー(Myitkyina)はミャンマー北端のカチン(Kachin)州の州都で人口約20万人、 かって西南シルクロードの通り道で北の中国国境までは約100km、国境を越えると保山、大理へと至ります。

ブタオ

 ミャンマー最北端の町プータオ(日本語表記では英語表記のPutaoからプータオとなっていますが、 現地の人の発音はブタオと語尾が上がる感じです)は、最近まで外国人の立ち入りが許されていませんでした。 現在でもパーミッションが必要です。 ミャンマー最高峰カカボラジ山(Hkakaborazi,5881m)は古くから「雲の向こうに手の平を直角に立てた山がある」と言い伝えられて来た山です。 カカボラジというのは現地語で「賑やかな山」の意で、雪崩や落石が多い事からつけられたものです。 なお日本人登山家尾崎隆が1996年9月15日午後3時12分、初登頂に成功しています。

登頂を伝える現地のポスターの記録
Myanmar's Highest Peak Mt.hhkakabo-razi 5881m
The Conquerors : Takashi Ozaki & U Namah Gyansein
On the peak time 3:12pm 15.9.96

北東部の中国国境付近の街町

ミチナーとマンダレーの間の中国寄りの街は ナバー(Naba)、カダー(Kathar)、 バーモ(英語表記Bhamo、ミャンマ表記Banmaw)、 ナムカン(Namkham)、モンユー(Mongyu)、 ムセー(Muse)、ラーショー(Lasho)などがあります。

ナバーはミチナーとマンダレー間の鉄道の途中駅、 バーモはエーヤワディ河のミチナーの下流にある港町で、 さらに下流にはカダーがあります。 ナバーはその近くでもあります。 バーモは中国国境の町ナムカン、モングー、ムセーへの 拠点でもあり、エーヤワディ河を下る船の出発点でもあります。 ムセーから国境を越えるとシュエリ(Shweli)=中国名瑞麗(ルイリー)の 町になります。

バーモからナムカンへの道は悪く、車で4時間、 ナムカンからムセーへは道が良く車で1時間、 さらにムセーからラーショー、ティーボウ、ピンウールィン、マンダレーへと 車で12時間です。

この一帯はかって中国とインドを結ぶ通商路=西南シルクロードや、 大戦中はLEDO ROAD(日本側からすれば、インパールへの道) が通っていた所です。

LEDO ROAD 1942年

Ledo-Myitkyina-Bhamo-Namkham-Mongyu -Wanting(町) -Mangshi(芒市) -Yungchang -Baoshan(保山) -Dali(大理) -Kunming(昆明)

土地のお年寄りによると米軍側は、 リド(LEDO) ->シンブーヤン(Shingbwiyang) ->マイコン(Maing Kwan) ->カーマイン(Kamaing) ->ムゴン(Mogaung) と進攻して来てミチナーに至り、戦闘は1944年5月から8月までの雨季の4ヵ月間行われ、 最後は司令官水上少将は中州のナウンターロ島で自決、兵隊達は機銃掃射をかいくぐり、竹の筒で息つぎしながら浮き袋を抱えて、河をバーモへと下って行ったそうです。

ナバー

ナバー(Naba)はミチナーから汽車でマンダレーへ行く途中にあります。朝7時にミッチナーを出て夕方6時に着きました。のんびりした汽車の旅です。
ミチナーからナバーまでの主な鉄道駅(数字は乗車時の時刻)。
ミチナー0700
ナンクイ(Nangkwe)0725
メリカ0747
ナミティ(Namitti)0857
ムゴン(Mogaung)0925-0945
サーモウ(Sahmow)1027
タウンニ1050
ミンゴン1105
ナムクイン1202
ホーピン(Hopin)1225
ナマ(Namma)1315
ムーニン(Mohnyin)1350-1433
Sagain Stateに入る1500
ナンスイアン(Nensyaung)1616
マウル(Mawlu)1635
ピンウェ(Pinwe)1730
ナバー(Naba)1800
Total=11hours

カダー

 カダー(Kathar)はナバーから車で1時間くらい(この時は大型トラックのバスで行きました)のエーヤワディー河に面した港町です。ここから船で(結構大きな船です)マンダレーに戻りました。夕方4時に出航して翌朝8時にマンダレーに着きました。これまたのんびりした船の旅です。
カダーからマンダレーへの船旅(数字は乗船時の時刻、全て停泊した訳ではない)。
カダー港1550
ティーチャイン(Htichint)1825-1845
チャウミャウ0155(またはダゴンに接岸して休憩をとる)
ミングォン0730
アランピャー0800
マンダレーヒル0815
マンダレー港0830
Total=17hours

バーモ

ミチナーからバーモ(英語表記Bhamo、ミャンマ表記Banmaw)へ行くには飛行機と車があります。 鉄道はありません、船は途中が狭くなっていたり、滝があるので行けません。 飛行機で30分、車で10時間くらいです。

飛行機は日曜と月曜にあり、まずマンダレーとカムティ(Khamti) を往復して、 次にマンダレーからバーモ、ミチナーへと飛び、再びミチナー、バーモでマンダレーに戻ります。 勿論これは天候により変わり、前回はスコールのためフライトキャンセルになりました。

車の場合はガイドとパーミッションが必要でパーミッションの申請は10日前です。 ミャンマ国内の移動は飛行機、汽車、船、定期バスは出発地と到着地のイミグレだけで済みますが、 車での移動はパーミッションが必要な場合がありますし、町毎にイミグレに行かなければなりません。

バーモ、カダー間の船は下りが5時間、上りが7時間で、雨季は大きな船ですが、乾季には2フロアの小さな船になります。 バーモからナムカンへの道は悪く、車で4時間、ナムカンからムセーへは道が良く車で1時間です。

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