12-5-1 パガン
パガン(PAGAN)王朝の夢の跡パガン遺跡
01 ニャウンウ(Nyaung-U)の宿から自転車でオールドパガンを目指したが途中でパンク。
タラバーゲート(Tha-ra-ba Gate)に居た修理屋さんに頼む10チャット
02 パガン博物館(Pagan Archaeological Museum現在は新しい建物になった)
03 アーナンダ(Ananda Temple)の回廊は伝説の高僧が修行した洞窟を、塔はヒマラヤの峰を模したといわれる
09 バヤトンズ(Phaya Thonzu)。これはまだ塔の上部がない。(
写真35参照)
13 エーヤワディ河(AYEYARWADDY RIVER)の夕日
15 シュエジーゴン・パヤ(Shwe-zi-gon Paya)
16 綺麗に塗られたアーナンダの塔。このときは望遠レンズを持って行ったので。
19 シュエサンドー(Shwe-san-daw Paya)から撮ったアーナンダ
20 同ダマヤンヂ(Dhamma-yan-gyj Pahto)
21 同NHK堂(「東南アジア至宝の旅」にでてきたので取りあえずこう呼んで いる)
22 同タビニュ(That-byin-nyu Temple)
29 釈迦如来像、
結珈扶(珈扶は足へん)座(けつかふざ)の吉祥座だが、
右手は降魔座のように触地印(そくちいん)となる。
しかし降魔印は人差指だがこれは四本指をつけている。
衣は右肩を脱いだ偏担(ころもへん)右肩(へんたんうけん)と例外的。
30 双子仏。正しくは「法華経」にちなんだ釈迦如来像で、「法華経」第十一章の「見宝塔品(けんほうとうぼん)」に、
釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)というところで人々に「法華経」説いていたとき、突然大地から七宝で飾られた塔が出現し、
過去の東方の無限の彼方にある宝浄国の多宝如来が現れ、宝塔の中の座を半分譲り、釈迦を招き入れて、
二人で並んで座ったという話しに因んで作られた、釈迦・多宝二仏併座像。
この像は二仏がまったく同じ形に作られているが、印相や衣を違えて作られたものもある。
その場合、説法印は釈迦で定印が多宝如来、釈迦は偏担右肩で先輩の多宝如来が通肩に作られる。
35 バヤトンズは半年前には無かった塔の上部を修復している。(
写真09
参照)観光のためにいたる所で修復が進んでいるが、時代考証を無視したやり方には問題も多い。
38 屋内展示にはお顔が崩れていないのがあるがそれは撮影禁止
40 NHK堂仏。目が鋭い。正しくはアラウンスィドゥー王の12世紀前半に建立された
ローカテイッパンパゴダの降魔成道座像(ごうまじょうどう)。
背後に脇侍するのはサーリプッタヤー(舎利佛(にんべん無し)しゃりほつ)と
マハーモッガラーナ(大目腱(月ではなく牛)連)の両尊者という
釈迦の直弟子で最も優れた十大弟子の第一、第二にあたる。
二人は釈迦よりも先に亡くなったので涅槃図には描かない。
目腱連は盂蘭盆会の起源といわれている。
43 シュエジーゴン。前回より整備された様子。(
写真15参照)
44 河辺の寺プパヤ(Bu-paya)は卵を立てた形でピュー族の影響を受けている
45 マハポジ(Mahabodhi)はブッダガヤの大精舎を模したもの
54 アーナンダ北側のパガン仏は高さ9mで創建当時のものが残っている。
両足をそろえて直立した生立像(しょうりゅうぞう)、
胸の前で両手を合わせる合掌印だが詳しくは不明、
衣は両肩を覆った通肩(つうけん)。