台湾総統選挙(2000年)
今回の総統選挙について話しをするために、少し歴史について書きます。
1945年8月15日、日本の敗戦により、1895年日清戦争敗戦で割譲されて以来50年に及ぶ日本統治は終わりを告げ、
台湾統治権は中華民国=国民党に移管される。当初、台湾人(本省人)はこれを光復(祖国復帰)と呼び、
大陸から渡台した中国人(外省人)を「同胞」として歓迎した。
光復後の台湾統治は、新長官陳儀と国府軍であったが、接収にきた政府の役人と国民党の兵士を見て、本省人は仰天した。
それは一言で言うと「豚のように貪欲な難民」であったからである。
すでに台湾は経済的にも教育的にも、中国のどこの省よりも高い水準にあった。
そこへ抗日戦争と国共内戦に疲弊した独裁政権末期の敗残兵が雪崩れ込んだのである。
彼らは日本人の残した財産を独占し、日本人の居座っていた地位にそのまま胡座をかいた。
本省人はそれを「犬が去ったら豚が来た」と評した。
こうして本省人と外省人の間に生じた摩擦はついに爆発する。
1947年2・28事件の勃発である。
台北市での闇煙草の取締り中に一人の警官が民衆に発砲した数発の銃声が、その号砲となり、
本省人の自然発生的な反政府運動が台湾全土に広がる。
それに対し蒋介石は大陸から大軍を動員して鎮圧にあたる。
この事態は双方の努力でやがて沈静化するが、問題はその後であった。
国民党政府は憲兵、警察、情報局などのあらゆる公安機関を使い、首謀者の摘発に乗り出した。
夜間、人知れず逮捕され、行方不明となる者。海や川に大量の死体が浮かぶ。集合していた学生が集団虐殺される。
等、半年ほどの間に殺された本省人は、その後の政府の研究報告で3万人近くに及ぶ。
しかも、殺されたのは、政界、財界、学界のリーダー達であった。
つまり日本留学組を中心とする台湾のエリート達が根こそぎ対象となった。
このことからも国民党政府の狙いは明らかであった。
この重大な事件を、本省人は約半世紀の間、貝のように口を閉ざして生きてきた。
2・28を語ることは死を意味したからである。
しかし、この事件は本省人に「台湾独立」という発想をもたらし、地下水脈となって連綿と続くことになる。
1949年5月蒋介石は戒厳令を施行(解除されるのは1987年)。
同年10月1日毛沢東の共産党により中華人民共和国成立。
同年12月蒋介石は遷都の名目で200万人の国民党軍と共に台湾に逃れる。
1950年6月25日朝鮮戦争開始に伴い、アメリカが台湾海峡の中立化を宣言し、第七艦隊を派遣する。
それにより台湾は「共産化」を免れる。
その後、蒋介石の息子蒋経国、経国の副総統李登輝(1988年就任)と国民党支配が続く。
1992年2月李登輝総統は「二二八事件研究報告と資料集」を公表し、遺族代表を総統府に招き自ら謝罪し、
最高600万元(2400万円)の補償措置、台北公園に記念碑建造を決定する。
これに対し、1994年末に、30年ぶりの民選市長選で当選した野党民進党陳水扁市長は、
国民党主導で進められた2・28事件の処理に対抗し、2・28慰霊祭の主催権を台北市に移し、
1995年2月28日、前年政府により建てられた二二八記念碑のある台北公園で集会を開き、
公園を「二二八和平公園」と改称した。
これら政治的な動きは、1996年3月23日に行われる台湾史上初の総統選挙を睨んだものである。
96年の選挙では投票率76.0%、李登輝候補が54.0%の得票率で、
2位民進党の膨(月なし)明敏候補の得票率21.1%を大きく上回り当選している。
これは先の2・28事件に対する対応が一定評価されるなどの、
李登輝個人に対する国民の期待が大きいからであるが、
やはり何といっても彼が本省人であるからである。
その後、本省人である李登輝総統は、「ニ国論」(中国と台湾は特殊な国と国との関係であるという考え)を打ち出し、
今回の総選挙を迎えることになる。
主な候補者は3人。
野党民進党(民主進歩党1986年9月結党)の陳水扁候補(弁護士出身、前台北市長)は全人口の85%を占める本省人であり、
「台湾の子」という愛称と「ニ国論」支持を打ち出し(本来民進党は台湾独立)選挙戦を有利に進めていた。
心配は野党の政権担当能力であったが、財閥系の経済人の支持を次第に集め、その不安は薄らいで行った。
無所属の宋楚諭(王へん)候補は元国民党最高幹部の一人であったが、李登輝総統と衝突し、
国民党を離党し、無所属での立候補となった。
三候補中唯一の外省人で「ニ国論」を批判し、改革を掲げ、若者の支持を集めたが、
国民党時代の党資金着服疑惑で勢いを止められた。
国民党の連戦候補は李登輝総統の副総統を4年勤め、後継候補でもあった。
本省人である彼は本来なら「ニ国論」を積極的に支持する立場であったが、
国民党の幹部は蒋介石と共に渡台した大陸出身の長老たちであったため、慎重にならざるを得なかった。
長老達は流石に「大陸反攻」の旗印を降ろしていたが、「中国統一」という点ではむしろ「国共合作」であった。
さらに李登輝時代からの暴力団との癒着や金権体質に対する批判がとどめを刺した。
中国の威嚇やそれに対するアメリカの警告など流動的な要素もあった。
中国は前回1996年の総統選挙では李登輝候補に対し、台湾海峡で大規模な軍事演習を行い、
台湾を激しく威嚇したが、今回は朱金容基首相の発言だけだった。
やはり国際世論の動向を考えざるを得なかったようだ。
しかしそれも台湾人の反発を招き、直前の意識調査では、自分は何人かという問いに対し、
台湾人である45%、
中国人である14%、
台湾人で中国人39%、
という結果になった。
アメリカも前回は原子力空母「ニミッツ」と「カールヴィンソン」の2隻を派遣したが、
(と記憶しているが。インディペンデンスでした。)、
最近のアメリカは大規模な軍事行動は取りにくくなっている。
選挙戦終盤、ノーベル賞学者でシンクタンクの長官、「台湾の良心」と称される李遠哲の民進党支援表明により
選挙の帰趨は決定的となった。
3月18日有権者1270万人により投票が行なわれた。投票率82.7%は前回より6.7%増であった。
開票結果は支持率39.3%で陳水扁候補が総統に当選し、政権が交代した。
次点は小差で宋楚諭(王へん)候補、国民党の連戦候補は大きく遅れをとり敗れた。
しかし議席数が1/3未満の民進党は小数与党になるため、今後の国会運営が焦点となる。
結局、今回の選挙結果は、台湾人が「台湾のアイデンティティー」を求めた結果であると言えるが、
このことは想像以上に根深いもので、歴史的にみても、イスパニアとオランダによる支配、
明・清時代の漢民族支配、日本統治時代の徹底的な日本化政策、そして国民党支配、
特に本省人の国民党に対する恨みは特別である。
この時代のことは侯孝賢(ホウシャオシェン)監督の映画「非情城市」に詳しい。
その結果、李登輝の後継者に陳水扁が選ばれた訳であるが、最も後継者にふさわしいのが陳水扁であった。
しかしこれは李登輝にとっては皮肉な結果となった。
彼こそが最も「台湾のアイデンティティー」を求めた政治家であったのだが、
その結果として、自分の党ではなく、他の党の候補者を当選させることになってしまう。
旧ソ連のゴルバチョフが民主化を推し進めた結果エリツィンに政権を取られることになったのと、二重写しに見えてしまう。
しかし選挙後、李登輝の追い落としに走る国民党支持者の姿を見て、この党も本当に終わったなと感じた。
確かに選挙には負けたが、台湾にとっては、最も良い選択だったのに、
彼らは国民党が負けた事だけを問題にしている、単なる利権たかり屋に過ぎなかったのだ。