エメラルド仏像(プラ・ケオ)
「ラオスの歴史」マニック・ジャムサイ
BC43年 北インドのパタリブート(現在のパトナ)で作られたといわれている。
この地に約300年安置されていたが、内乱が起こり、破壊を怖れた仏教徒により
セイロン(現在のスリランカ)に運ばれる。
457年 ビルマのパガン王がセイロンに使節を送り仏像を譲り受ける。
ところが仏像を運ぶ途中、船が嵐により転覆し、仏像はカンボジアの海岸に打ち上げられ付近の住民により発見される。しばらく、カンボジアのセナラート王に保護されていたが、その治世に反対する仏教徒によって国外に持ち出される。以後、アユタヤを経て、北部タイのチェンライまで運ばれる。チェンライでは盗難を避けるために石膏を被せて、
仏塔に納められた。こうして長い間人目から隠されてきた。
1434年 仏塔に雷が落ちて崩れ落ち、中から石膏の剥がれた仏像が再び姿を現した。
この噂を伝え聞いたランナー・タイ王国(1296年成立)のサム・ファン・カーン王は仏像を王都であるチェンマイに運ぼうとする。しかし仏像をのせた象は、チェンマイに向かわず、ランパーンに行ってしまう。王はこれを仏像の意志と考え、その地に寺院を建立して仏像を安置した。次のティオカラート王の時代にチェンマイに移され、プラ・ケオ寺院に安置される。
セタティラート王がランナー・タイ王国の国王に就任した後、スワーの地(後にルアンプラバンと改名)に移された。
1560年 セタティラート王はルアンプラバンからヴィエンチャンに遷都する際、
金のプラバン仏は旧王都スワーに残し、エメラルド仏像はヴィエンチャンに移しプラ・ケオ寺院を建立して安置した。遷都後、旧王都スワーは金仏像にちなんで、ルアンプラバンと改名された。ルアンは「大きい」、プラバンは仏像の固有名詞。
1778年 トンブリー朝のシャム軍がヴィエンチャンを占領し、黄金仏とエメラルド仏像を戦利品としてシャムに持ち去り、エメラルド仏は現在、タイ・バンコクのプラ・ケオ寺院に安置されている。
プラバン黄金仏
1357年 クメール帝国からランサーン王国に贈られる
1560年 プラバン仏は旧王都スワーに残る
1778年 トンブリー朝が持ち去る
1867年 ラオスに返還。何故返したのか?