10-4 麗江
麗江(リイジャン)は納西族(ナシ族)の町で、正式には麗江納西族自治県の中心。
01 麗江はあの方向、手前の白いのは蕎麦の花。
02 山並みは玉龍雪山(ユイロンシュエシャン)
03 ようやく麗江市街が見えた
04 ホテルの部屋から玉龍雪山を望むが、玉龍雲中。
05 翌早朝なんとか見えた
06 玉龍雪山の山域に入るには入山料がいる
07 料金所
08 この時期はほとんど玉龍云中
09 白水山荘。ここまで登ると真夏とはいえ寒い
10 ロバで展望台まで登る
11 白水山荘にあった地図
12 地図拡大
13 玉龍雪山から流れ出す川
14 流石に透明。そして冷たい。
15 放牧場にはヤクがいた(小さくてわかりにくいが手前の黒いの)
16 高山植物が一杯
17 白沙の東巴文字
18 作者の和振功さん
19 大寶積宮の壁画の修復をしている
20 雲南省重点文物保護単位
21 白沙(バイシャ)村の標識。右手の舗装路をまっすぐ進むと玉龍雪山。
22 村へは左手のこの道を向こうの山の麓近くまで行く。とにかく広い。
23 市内の玉龍花園。あまり花はない
24 麗江は水の街
25 道の向こうにイ族の娘さんがいた
26 たまたまこちら側に来たので、申し訳ないがそっと写す(写真は撮らせてもらえない)
27 こちらは麗江の主役、納西族の娘さんの衣装。「娘の衣装は民族の華」(司馬遼太郎、街道をゆく雲南のみち)
28 写真はあまり好きではない
29 夕食のテーブル
30 これは木の根。フライにして食べる
31 流れた分はこうして
32 お引越し?
33 豆腐売り。豆腐は硬めで、焦げたような味がする。
34 市内の北にある玉泉公園。公園内の黒龍潭から涌き出る水が、市内を流れる玉河となる。
35 門には狛犬
36 子供向けの山羊車
37 雲がなければ正面に玉龍雪山が聳える。手前の池が黒龍潭で、玉龍雪山の伏流水が涌き出る。絵葉書の定番。
38 市内中央の丘、獅子山から老街北方向を見下ろす
39 老街(ラオジェ)の南方向
40 麗江の中心部、四方街の古い建物。地震で傾いている。
ここは地震が多く、1996年2月3日午後7時14分(日本時間同8時14分)マグニチュード7.0の地震が発生し、大きな被害を出した。
ささやかながら義捐金を送らせて頂いた。
41 四方街の米線屋さん
42 夜、市内で納西族のコンサートが開かれる
43 バスターミナル
44 さらば麗江。と言っておきながらまた行ってしまった。
雪楼(英名din din friendship cafe)で食事。明日はいよいよ瀘沽湖に向かう。
瀘沽湖から麗江に戻り、虎跳峡に行く。金沙江の渡し場に長征で渡河したことを示す記念碑が建てられている。
石鼓渡口説明へ
虎跳峡説明へ
雲杉坪(ユンサンピン)麗江北35km
いつものドライバー金さんは、三菱パジェロからトヨタのマイクロバスに、車を変えていた。確かに、日本人ツアー客を石林まで運ぶ方が、はるかに簡単で収入も多い。麗江には飛行場も出来たが、道も良くなって来たようなので、今回は普通車のTAXIで、麗江まで直行することにする。
麗江賓舘は中国人ツアー客も増え(夏のせいもあるが)、本館は予約で一杯のため、後ろの民族館の部屋になる。突き辺りの部屋で、裏は農家だったが、ここの主人が、農作業を終えると、庭先でニ胡を引く。優雅な調べが夕べの一時を満たしてくれた。
いつも四方街入り口の雪楼で食事をしていたが、獅子山を越えて行くことにし、南の方から行ってみた。ここはトウモロコシ畑が広がり、葉が風になびいていた。森山良子の「ざわわ、ざわわ、ざわわ、・・・・」という歌を歌いながら行った。(あちらはサトウキビ畑だし、このように呑気な歌ではないが、なんとなく合っていたので)
自転車を借りて水庫まで来た。夏は市民のプール代わりになっている。
木家(ムージャ)。この古木があるからだが、麗江には「木」という名字が多い。西双版納には「岩(アイ)」という名字が多いのと同じで、小数民族が漢族化するときに名字をつけたもので、日本でも同じような話がある。
空に上がるのは孔明灯(コンミンタン)。大きさは1m弱で、結構高く舞い上がる。
今日は頑張って、麗江北西15kmの玉峰寺(ユイフォンスー)まで自転車で行く。白沙(麗江北北西8km)のあたりで雨が降り出す。右は玉龍雪山山区の監視所。左に折れる。
あの山の中腹にある。もう一頑張り。しかしここからが山道で大変だった。
境内の萬朶茶花と呼ばれる椿の木。お茶と椿は同じ仲間。
根元。旧暦2月8日の三朶(サンド)節の頃には花を咲かせる。
帰りは飛行機にする。飛机端21kmの標識。鶴慶への途中にある。麗江の近くは玉龍雪山の乱気流のため、こんなに遠くになった。
見物客が集まる。離陸から30分とかからずに着いてしまった。あの2日もかけて行った日々を思うと拍子抜けしてしまう。便利にはなったが感動はなくなった。
今回はバンコク−ヴィエンチャン−昆明−バンコクのルートチケットが、
入手出来たのでヴィエンチャンから昆明に向かう。
ヴィエンチャン空港の待合室で、おそらく、家族が海外へ行くのであろうと思われるおばあさんが、
別れを悲しんで声をあげて泣いていた。
これが、長閑な国ラオスの現実。
ヴェトナム戦争でアメリカ側について、
海外に出たラオス人
(特にモン族は、山岳での戦闘能力を買われ、同じ民族でありながら、左右に分かれ、
戦うことを余儀なくされた。ここにも大国のエゴと小数民族の悲劇がある。)は現在、
帰国は出来てもヴィエンチャンしか滞在出来ないなどの規制がある。
滞在期間が短かかったので、昆明から麗江へは飛行機で往復することにした。 問題は帰りの便で、昆明ではブッキングできない。麗江で予約できなかったら、 厄介なことになる。そうしたら、金さんが麗江の知り合いに連絡し、コピーした パスポートをFAXで送り、購入して貰い、向こうでその人に支払って、 受け取れるように手配してくれた。勿論、金さんの気が利いているのだが、 FAXで送れたり、代理人がパスポートコピーで購入できたりと、 便利になりました。