第4章 縄紋時代
第8節 縄紋後期(4000年前〜3000年前)
照葉樹林焼畑文化の伝来、西日本へ展開
照葉樹林が西日本で極相林となる
ナラ林文化の伝来、東日本?
中期のピーク時にくらべ人口1/100以下
気温急激に低下
人口現象
大きな集落の崩壊
集落の分散
複数の集落が共同で祭祀ストーンサークル
土偶が多い
4000年前冷涼化遺跡の激減
ナラ林の縮小と森林破壊農耕による?
北九州では4000年前に人為的な森林破壊
縄紋後期・晩期の植物遺体
イネ、ソバ、豆類、ムギ、ヒョウタンなどの
種子や花粉が検出
三角州が拡大しラグーンが縮小
3580±100、3270±65など
3500〜3200に集中
砂礫の堆積によるラグーンの縮小は生業の場の縮小を意味する
風張遺跡(青森)炭化米7粒14c測定2810±270bp
月夜野矢瀬遺跡(群馬)
縄紋後晩期は遺跡数減少低地指向
水場でトチのアク抜き
自然崇拝のトーテムポール
四隅袖付炉という特殊な炉
水場でトチのアク抜きのために埼玉川口では水利灌漑設備が発達していた
これと焼畑での陸稲栽培が融合して
水田稲作への準備となっていった
縄紋後期
櫛目文土器
無文土器
後期 後期
敷石住居の登場 大畑(静岡)
土器形のバラエティ-増加する 曽谷(千葉)
環状・馬蹄形貝塚の盛行 堀ノ内(千葉)・草刈場(千葉)
配石遺構がみられる 大湯(秋田)
黒色磨研土器があらわれる 津雲(岡山)
曽畑(熊本)3300±125
検見川3072±180
北海道知内(しりうち)町の湯の里遺跡
サケ・マスの骨出土
90%以上がサケの骨で
頭と尻尾を落とし二枚におろして
天日か火で乾燥して保存食としていた