サントリーニ火山の噴火

サントリーニ火山はエーゲ海南部、クレタ島の北のサントリーニ島にあり、BC14世紀に 大噴火をおこしミノア文明を滅ぼした。軽石層の下から発掘されたフレスコ画に描かれ た人々は半裸に近いことから当時の気候が温暖であったことがわかる。この噴火はイン ドネシアのクラカトア火山の10倍、広島原爆の100万倍のエネルギーをもち、噴火によ りまき散らされた火山灰は10年間にわたりアフリカ、ヨーロッパ、アジア三大陸を覆っ た。そのため日射量が減少し気温の低下を招いた。噴火に伴って地震と高さ200mの大津 波が襲いミノア文明は滅んだ。その後数十年間にわたる噴火の結果、大陥没が起こり、 直径10kmのカルデラができ、サントリーニ島は回りに5つの島を残すだけで海に沈んだ。
クレタ島のクノッソス宮殿、マリア宮殿に当時の様子が残されており、それによると地 中海貿易を担った海人であった。この噴火の影響は周辺文明にも影響を与え、エジプト では数年間太陽が見えなくなったため、太陽神を信じていたのが多神教に変わったこと がツタンカーメン王でみられる。その次のラムセス2世とモーゼの十災は噴火の結果で あることが説明できる。例えばナイル川が血の色になったのは鉄分を含んだ火山灰がナ イル川にまで及んだこと、海が割れて道ができるのは地中海に面したラグーンの砂州の 切れ目が陥没による海面低下でつながったこと(モーゼの通ったコースは紅海ではなく スエズ地溝であり、北よりの場合地中海沿岸を通ったことになる)。モーゼの泉はいう までもなく温泉の噴出であることなどである。
またフランスのカルナック列石群やイギリスのストーンヘンジなどの巨石文明はBC14に 突如消滅するが、この巨石の建造術を担ったのはミノアの海人であったからである。 さらにトルコのヒッサリクの丘のトロイ遺跡は噴火で埋もれ、BC8のホメロスの記述を 根拠のあるものと考えたシュリーマンにより発掘されたのは有名な話。
竹内均「アトランティスの発見」徳間文庫

その他の資料
プラトンのアトランティスの記述は大西洋になっているが、当時のギリシア人の書き方 からすると未知の場所に舞台を置くことから、このことの伝承が大西洋に変化したもの と考えられる。
このテラの大噴火はBC1628年に起こったことが、この後7年間に渡り氷の中に硫黄が見 られることからわかる。地中海は一旦陥没し、その後高さ250mの津波が内陸部50kmまで 押し寄せた。中国では夏の29年に火山灰による気温低下が記録されており、北アメリカ 大陸ではカリフォルニアの樹齢5千年のスギの年輪中に火山灰の痕跡が観察された。