第5章 資料
 第3節 人類の進化
  第3項 主な人類化石の発見の歴史

1856年 ネアンデルタール人発見
 ドイツ、デュッセルドルフ市近郊のネアンデル渓谷(渓谷=タール)フェルトホーフェル洞窟で、 高校教師フールロットがネアンデルタール発見。 13万年前洪積世の人類で、ヨーロッパ・中近東に居住し、大型獣を狙う。 鼻孔が大きいなど寒冷地適応のヨーロッパ人であるが、その原始的な姿がヨーロッパでは嫌われ、 1901年グスタフ・シュワルベにより初めて認められ、ピテカントロプスと共に現代人の祖先に位置づけられる。

1859年ダーウィン「種の起源」

1868年 クロマニヨン人発見
 フランス、ドルドーニュ県クロマニヨンの岩陰で、同県のペリグーから隣県のアジャンへの鉄道敷設工事中に、 鉄道工夫が人体五体を発見。これがアフリカ出身の手足が長く皮膚の黒いクロマニヨンであった。

1871年ダーウィン「人間の由来」

1891年秋ジャワ原人発見
 ドイツの生物学者ヘッケル(1868年「自然創造史」)はサルとヒトの中間的生物の存在を仮定し、 失われた鎖の輪(ミッシングリンク)を埋めた。 それが、ピテカントロプス(原人)で、ラテン語でピテクはサル、アントロープはヒトの意。 その化石がスンダ列島にあると予言した。 オランダの若き解剖学者ウジェーヌ・デュボアはヘッケルの予言を信じ、アムステルダムの大学講師の職を辞め、 スマトラ島で3年間にわたり発掘作業したが、発見できなかった。 その後ジャワ島に移り、中部のソロ川流域のトリニール村で予言通りに発見した。 それがピテカントロプス・エレクトス(直立原人)である。

1920年代エチオピア、ケニア、タンザニアと南アフリカでアウストラロピテクス出土。

1925年南アフリカのタウング鉱山でレイモンド・ダートが発見
アウストラロピテクス・アフリカヌス
チンパンジー、ゴリラの居住域と一致

1929年秋北京原人発見
 スウェーデンの地質学者アンダーソンが、北京市西郊の西山と呼ばれる石灰岩台地、 周口店の洞窟でシナントロプス・ペキネンシスを発見。
脳の容積平均1075立方cm、身長約152cm(ジャワ原人平均860立方cm、類人猿415立方cm、白人蒙古1400立方cm)。 5、60万年以前第一間氷期または第二間氷期の温暖湿潤期に草原で石器による狩猟をしていた。 後にこれはハイエナが持ち込んだものと判明。