第5章 資料
 第3節 人類の進化
  第7項 ミトコンドリア・イブ説

 「ネイチャー」1987年1月1日号に、カリフォルニア大学バークレー校のレベッカ・キャン、アラン・ウィルソンらの分子人類学グループが提唱した新説で、 「現世人類の祖先ホモ・サピエンスは20万年前のアフリカに居た、たった一人のアフリカ人女性から派生した。」というもの。 (ただし、一人といっても、アダムとイブのように本当に二人きりだった訳ではなく、当時この地域には1万人程度は居たと考えられている。 女性を半分と見ても5千人は居たことになるが、4999人の女性は子孫を残さなかった、全て途中で絶滅したということである。)

 これは、147人分の胎盤からミトコンドリアDNAを抽出し、系統樹をつくり、それをコンピュータで解析して得られたものである。 当初ミトコンドリアDNAの分子時計の正確さやコンピュータ解析のソフトの使用法について、疑問が出されたが、基本的には正しいことが明らかになっていった。

20万年前はステージ6のリス氷期(18万6千年前)に至る頃で、 この頃オナガザルの仲間が爆発的に種が分化

 世界中の現代人のミトコンドリアDNAの違いは、熱帯アフリカのチンパンジーの個体群間に見られる違いの十分の一しかない。 これは起源がかなり新しいことを意味する。 またアフリカ人集団が最も大きな遺伝的多様性を有することは、それだけ集団の起源が古いことを物語る。

 さらにウィルソンは4千人以上の非アフリカ系のミトコンドリアDNAを調べたが、アフリカよりも古いものは一例も見つからなかった。 これは現在でもそうである。他の研究者たちの結果も同様であり、宝来聰(総合研究大学院大)は14万3千年前と出した。 核内DNAのデータも同じ結果を示し、根井正利(ペンシルヴェニア州立大)も単一起源を推定させるデータを出した。

 集団遺伝学からも多地域進化説に対する批判が起こった。多地域進化説では、人類が地理的に広がったにもかかわらず、多様性がない事の説明として、 遺伝子が絶えず交換されていた(つまり通婚があった)ことを想定しているが、シャーヒン・ルーハニ(英)は、アフリカから中国沿岸まで広がった時、 例え生態学的に同一だったとしても(現実にはそんなことは有り得ないが)、個体群は地理的に隔離され、相互に分岐し、やがて通婚はできなくなり、 そうなれば同じ方向に進化が進む事は有り得ないと断定する。

又、スタンフォード大学のキャバーリ・スフォルツァは、遺伝子の交換が平衡状態に達するまでには、途方もない時間がかかり、 人類の歴史全体でも足りないくらいだとした。  キャバーリ・スフォルツァは88年、同僚のジョセフ・グリーンバーグの協力を得て、核内DNAの分岐系統図と言語学のデータを比較した。 言語は人間と共に変化して行くが、グリーンバーグの言語系統樹はDNAによる系統樹とほとんど重なり合った。 多地域進化説が正しいなら、各地域の言語はそれぞれが、かなりの古さと異なるルーツを持っていなければならない。 又、言語進化は生物進化よりはるかに速く進むから、やがて、人間集団との関連性は薄くなるはずである。 しかし実際はそうなっていない。

 さらに化石人類学の分野でもイブ説が支持され、現在では多地域進化説は否定された。 それは、1976年にフランスで発見されたネアンデルタール人に始まる。 80年にフランソワ・レベックとベルナール・ヴァンデルメールシュの連名で発表された論文によると、 化石はシャテルペロン文化層から発見されたが、 そこはクロマニヨン人のものであり、ネアンデルタール人はムスチエ文化層が常識だった。 そして、91年に共伴したフリント石器の熱ルミネッセンス法による年代値が約3万6千3百年前だったことから、謎が解けた。 シャテルペロン石器の製作者は間違いなくネアンデルタール人だったのだ。 つまり、彼らは3万年前台まで生存していたのだ。 その後、類例が相次ぎシャテルペロン文化はネアンデルタール人の一部がクロマニヨン人から学んだものだったことが明らかになった。 ネアンデルタール人とクロマニヨン人が共存していたとなると多地域進化説は成り立たなくなる。 ただし、共存といっても、両集団は互いに接触を取り合うほど似通ってはいなかった。

コイサン集団(現世アフリカ人の古い種族)
 コイ人(ホッテントット)
 サン人(ブッシュマン)ナミビア砂漠(サバンナもある)

分子時計
1967年V・サリッチとA・ウイルソン
ヒトやさまざまな類人猿のアルブミンのアミノ酸配列から、 DNAやタンパク質などの分子も進化しており、 その変化のスピードは一定であることから、年代がわかる。
ミトコンドリアDNAは細胞核DNAに比べ、塩基置換の速度が10倍ほど大きいので、 ごく近い種間でも置換が起きており比較しやすい。