第2章 照葉樹林文化
朝鮮半島の変遷

BC5000年頃北部ーゆうろう、鮮卑。東岸ー扶余、ゆうろう。西岸南岸ー古倭民

BC473年呉が越により滅亡。北に燕があるため朝鮮半島中・南部に亡命。 中部に馬韓、南部には狗雅があったが中部に上陸し、先住の

・貊(わい・はく、ツングース族)を制し、辰国(韓族)→馬韓を建てる。

南部に上陸したのは小規模で、ここには別の倭人がいた。文身の習俗は加羅または伽耶、狗邪韓国にもあることから、 日本に渡ったものの残りと考えられる。広島、高知、大分などの地名に呉が多い事と関連するかもしれない。
菜畑遺跡と年代が合う
BC450〜400年倭人渡来
BC334年越、楚により滅亡
BC200年辰国燕人衛満に滅ぼされる。平壌を都とする。
BC108年辰国前漢武帝に征討される
BC100年高句麗強勢、南進。
BC82年朝鮮南部楽浪郡と改称
BC2世紀末扶余(黒龍江上流のモンゴル系)ツングース系を征服
BC1世紀末高句麗(こぐりょ)ツングース系のわい族建国
AD57年金印。「魏志」倭人伝は正式には烏丸鮮卑東夷伝の倭人の条
180年後漢衰退
178〜183年倭国大乱、三韓分立
196〜219年帯方郡
3〜4世紀馬韓50余カ国
    辰韓12カ国
    弁韓12カ国
220年後漢滅ぶ
237〜239年魏の明帝太守派遣
265年魏滅ぶ
346年百済(ぺぐじぇ)建国
356年新羅(しるら)建国
372年東扶余が馬韓滅ぼす。東晋の加担。百済建国。
 馬韓→百済
 わい・貊のために陸路がだめなので海路による移動

 弁韓→金官加羅、駕洛に上陸できず
 辰韓→新羅へ渡る
 耽羅国(済州島ちぇじゅ)日本への移住者の大半はここの出身者
任那日本府の存在あやしい
現在は伽耶(かや)あるいは伽羅(から)と呼ぶ
全谷里(ぜんこくり)遺跡
アシュール型のハンドアックス
(従来デカン高原の西側にだけ存在)
朝鮮上老大島横剥ぎ型ナイフ
朝鮮石壮里クサビ型石核に類似のもの