第1章 雲南
 第2節 雲南の少数民族
  第1項 納西(ナシ)族

西部納西族と東部納西族

麗江県とその東隣の寧浪県の金沙江を境に、西部と東部に分けられ、次のような特徴がある。

西部納西族

西部は納西族。人口約26万人、標高1500〜3000mの高地に居住し、主に稲作、小麦、トウモロコシ、野菜を栽培している。

納西族女性の民族衣装は、紺色を基調とし、上着の上に紺かえんじ色のベストを着て、 プリーツのある青いエプロンをつける。独特の背当ての白い紐を胸の辺りで交叉させ、 羊の皮の部分は披星戴(da4i)月、その上の飾りは北斗七星を表し、早朝から夜遅くまで よく働く勤勉さの象徴である。娘さんの衣装(写真)は、 若いだけに華やかな感じになる。

言語はチベット・ビルマ諸語でイ族に近い。日本語との類似点として、形容詞が名詞の後に来る以外の全てと、 単語が母音終りの2点が挙げられる。

西部は中国茶(「お茶の文化史」p136油茶)
砂罐をイロリの火であぶり、熱くなったらブタの油かニワトリの油を少々入れ、塩を加え、さらに落花生かクルミ、 ゴマまたは米のどれかを加えて炒ったあと、茶葉を入れ、砂罐をあぶったり離したりして、茶葉が黄変したら沸騰水を注ぎ、 それを飲用する。

東部納西族

東部は摩梭人(モソレン)という民族であるが、公式には永寧納西族という納西族の傍系とされる。
しかし、自らは別の民族と主張し、族ではなく人となっている。
チベット流のバター茶を愛飲し、女性はズボンではなくスカートで、ひだがたっぷりで長く白いものを着用する。
普米(プミ)族の影響を受け衣装も似ている。

永寧地区には母系性が残り、阿注(アツゥー)婚 (阿注は友達の意、阿肖(アチュウ)とも表記)と呼ばれる妻問い婚が行われている。

住居はコの字形で母屋は平屋、他は低い2階屋、2階は尼札(手へん)意(ニーザーイー) という客室の意で阿注婚の娘の個室、もう一つは神棚のある部屋、 1階はそれぞれ家畜小屋と物置屋。

伝承や漢文文献からは遊牧民の北方の古代羌族に由来し、神話や親族組織などからは農耕民である。
摩梭人は背が高く、男性は身長180cmくらいがよく居り、鼻が高く鋭いことから、 北方系であることをうかがわせる。

旧暦7月下旬に行われるガンム祭は瀘沽湖北側の獅子山の女神干木(ガンム)を祭るもので、 現在は漢族の影響を受けているが、元来は自然神信仰である。
納西族と同様に歌垣の風習を持つ。

いくつかの基本単語の相違(聞き書きなので正確ではない)


         摩梭語     納西語
こんにちわ    ヌジャ     
ありがとう    アミゼ     ンジェベセ
さようなら    アザゼホ    レドドフ
あなたの名前は  マーマンツォ  ヌエネミ
これなに     アツォ     チュエツレ
いくら      カーイャ    チジェゼダ
父        モソ      エバ
母        プーミイ    エメ


麗江県


 面積7485平方km、人口31.9万人、内納西族57.5%。

麗江(lijiang)市


 昆明から600km、海抜2410m、面積約1.4平方km、戸数4200余。
市内の地名
古城は宋代末から元代初めに建設800年の歴史
大研鎮(yanzhen)(鎮は町で城より小さく村より大きい)
新大街
福慧路( hui)
新華街(xinhua)
先鋒街(xianfeng)
四方街
五一街(wuyi)
七一街(qiyi)
玉河(yuihe)
市内の名所
玉泉公園
玉泉(黒龍潭)
東巴文化研究所
五鳳楼1601年

郊外の名所


玉龍雪山5596m
横断山脈の南、雲南西北高原、玉龍十三峰の主峰
干海子(ganhaizi)甘海子
市内より23km海抜3100m、ヤクが放牧(ヤクは雄、雌はリ)
白水(baishui)
白沙(baisha)
瑠璃宝殿と大宝積宮
白沙の他に竜泉、雪松、芝山、崖脚など10カ所
明・清代の仏教道教の神々
麗江壁画と呼ばれる

石鼓渡口(shigu)
 麗江の西68kmで金沙江は大きく向きを変え130°湾曲する。そのために流れが緩やかで、 金沙江の数少ない渡り場になる。万里長江第一湾と呼ばれる。 三国時代の諸葛孔明、元の世祖フビライ、賀竜将軍の中国工農紅軍第二方面軍など、 皆ここを渡った。

虎跳峡
 金沙江(jinshajiang)が造る深い峡谷で、上中下三段あり、全長16km、十八の落差、 幅は最短30mで虎が飛び越えるということでその名がついた。彼方の山は哈巴雪山(haba)5396m。

白漢場(baihanchang)()


剣川(jianchuan)

東巴文字

 東巴文字(象形文字)
東巴経典は縦10cm横30cmほどの大きさで、左端が綴じられた経本で、 東巴と呼ばれる祭祀者が儀礼を行うときに用いる。1ページはほとんどが3段に区切られ、左から右に読んでいく。 動物や植物など様々な象形文字が描かれており、 特に多種多様な悪鬼とそれを鎮める力を持つ神々が印象的である。 何種類かの象形文字辞典が作られている。一つ一つの文字の発音と意味はわかるが、 省略された部分が多いので、それぞれの文字を正しく読んでいっても、 意味のある文にはならず、内容は把握出来ない。記述内容を正しく理解するには、 その経典に描かれている内容を暗唱していなければならない。 要するにこの文字は、 東巴たちが儀礼の場で経典を間違わずに暗唱するためのメモ書の役割をしていた。 しかしそれと同時に不可思議な記号により、儀礼を権威付ける役割も果たしていた。
 解放後活動が禁止され、現在読みこなせる東巴は数人しかいない。 玉泉公園内にある雲南省社会科学院麗江東巴文化研究所で経典の解読と記録作業が行われている。 東巴経典は仏教が伝わる以前にチベットで広く信仰され、 チベット仏教(俗名ラマ教)に影響を与えた梵(ボン)教の原形を保持している。
ボン教は西チベットのカイラス山に開祖シャンラブ・ミウォが降りてきて開いたものとなっているが、 もともとは、太陽、山、空、さまざまな自然現象などへの民間信仰と、 呪術や祈祷を行うシャーマニズムが基礎となっている。 日本の出雲の信仰に近い。

伝統の祭り


旧暦2月8日の三朶(サンド)節(


 サンドは玉龍雪山の主神で、サンド神を祀る玉峰寺は清代の乾隆21年(1756年)に創建されたラマ寺。
境内には15世紀初め明代の永楽年間に植えられたと言う萬朶茶花があり、樹齢約500年、樹高3m、直径40cm、2月から4月にかけて1万個以上の花を咲かせる。

旧暦6月下旬の火把(フォバ)節
 高さ1.5m太さ30cmほどに縛られた木片の束が、赤や黄色の花で飾られ、日暮れと共に各家の門口で点火される。
元々は害虫を焼く、焼畑の祭りである。

麗江から先の街


永勝yongsheng()


寧浪ninglang()


永寧yongning

瀘沽湖(lugu lake)

基礎データ

瀘沽湖 (沽湖ルーグーフウ)は、 雲南省と四川省の省境にあり、面積7.77万畝(50多平方公里)、湖面海抜2685m、 最大水深93.6m、平均水深45m、透明度11mの神秘的な美しさの湖である。

猪槽船(猪槽は豚の餌箱)という箱船で湖を巡ると大咀(大嘴)島、 尼島、 里格島、謝娃峨島、里務比島、左所島などの島がある。

北の湖畔に聳える獅子山は海抜3800mで富士山よりも高い。
湖西岸の落水(luoshui)にはいくつかの宿がある。

猪槽船

猪槽船の伝説
その昔、ここには湖はなく、広大な平原が広がっていた。平原には採り尽くせないほどの作物、果実があったが、 悪領主がすべてを独占していたため、農民達は衣食にも事欠く悲惨な生活を送っていた。 領主の家の牛を放牧していた牧童は、満足に食事も与えてもらえなかったが、屈強な体つきをしていた。 実は彼は獅子山の麓の洞窟で巨大な魚を見つけ、毎日その洞窟からはみ出た魚の尾肉を少し切り取り、 焼いて食べていたのだ。魚の尾は翌日になると、元通りになるため、毎日切り取っても、 その日のうちに生えそろい、永遠に食べ尽くすことはなかった。 その秘密を知った貪欲な領主は、皮ひもと縄で魚の尾を縛り、九頭のヤクに引かせて、 ついに大魚を洞穴から引きずり出した。 それと同時に洞穴から水が噴き出し、平原は水没し、人々もみな水に飲み込まれてしまった。 ただ一人豚飼いの婦人が、水の押し寄せるのを見て慌てて猪槽船に飛び込み九死に一生を得た。

チベット・ゲルク派

 チベット・ゲルク派
チベット仏教4大宗派、ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派。 ゲルク派は最も新しく、最大の宗派。ダライ・ラマ、パンチェン・ラマが属する。 1409年開祖ジェ・リンポチェが密教化したチベット仏教に宗教改革を行った。 戒律を重視し、妻帯を禁じ、転生活仏制度(いわゆるダライ・ラマ)により、大躍進した。 チベットに仏教が伝わった、8世紀頃には仏教はかなり呪術性・神秘主義性の強い、 後期密教の時代に入っていた。チベット仏教はそれを忠実に受け継いだために密教性が強い。