第1章 雲南
NHKチャンタン高原
グゲ王国王城ツァパラン
吐蕃王朝(6世紀)崩壊(9世紀ランダルマ王の死)後の10世紀頃、末裔がグゲ、プラン(カイラス山)、ラダックの「ガリーの3地域」に一族を分封する。
1630年ラダック軍により滅亡
ララマ・イェシェーウー王が11世紀頃インドから帰国した、高僧リンチェンサンポのためにトリン寺を建てた。
インパールはインド東端のミャンマーとの国境近くの町で、中印交易の要衝。
昭和16年(1941年)12月8日マレー半島上陸、
南下してシンガポール攻略、
西進してタイを制圧、
イギリス領ビルマへ進入。
昭和17年(1942年)3月ラングーン占領、
5月ビルマ全土掌握。
昭和18年(1943年)1月連合軍カサブランカで合同参謀会議開催。
アメリカは援將ルートの確保、イギリスは植民地奪回のためビルマ奪回が決定される。
2月ガダルカナル島陥落。日本軍は防衛体制の強化を迫られる。
昭和18年3月27日ビルマ方面軍を新設し第15軍を直接指揮。
7月チャンドラボース、
8月1日バー・モー首相にビルマを独立させる。
昭和19年(1944年)1月7日参謀総長指示をもって認可。
3月開始。
4ヶ月にわたる激しい戦闘で3万人近い死者。
6月1日朝、佐藤師団長独断命令により第31師団コヒマ撤退。
7月1日大本営作戦中止を認可。
7月18日サイパン陥落、東条首相辞任。
7月22日小磯内閣成立。
ビルマ方面に配置されたのは十個師団
ビルマ方面軍第二師団(通称・勇)
ビルマ方面軍第四十九師団(狼)
ビルマ方面軍第五十三師団(安)
第十五軍第十五師団(祭)
第十五軍第三十一師団(烈)
第十五軍第三十三師団(弓)
第二十八軍第五十四師団(兵)
第二十八軍第五十五師団(壮)
第三十三軍第十八師団(菊)
第三十三軍第五十六師団(龍・たつ)
ビルマ方面軍(森、河辺正三中将、本部ラングーン)
インパールを目指したのは第15軍(林、牟田口廉也中将、本部メーミョ)
第三十一師団(烈)佐藤幸徳中将、インパール北方コヒマ方面
第十五師団(祭)山内正文中将、インパール北方面
第三十三師団(弓)柳田元三中将、ビシェンプール(インパール南)方面
北ビルマを作戦担任としたのが第33軍(本田中将)
「龍」は1941年(昭和16年)福岡県久留米で編成され、兵隊のほとんどは福岡、長崎、佐賀の出身。
同じく北九州で編成された「菊」とは兄弟師団。
怒江を渡って来る重慶軍と戦った。
町を通り、
さらに東に進み芒市を占領1942年(昭和17年)5月2日。
怒江にかかる恵通橋を見下ろす拉孟に、陣地を構える5月5日。
この橋は、
緬公路
という援蒋ルートに架る橋で、現在の橋は1974年に建設された紅旗橋で、恵通橋はその上流100mほどにあった。
タコ壺式の陣地を構築し、約2年間は平和なひとときを過ごすが、
1944年(昭和19年)6月2日、アメリカ軍中将スティルウェル率いる雲南遠征軍20万の中国兵がインドに於いて米国式装備によって訓練され、
さらに30万の予備軍を配置し、物量作戦を挑んで来た。
それに対する「龍」はわずか1280名。
よく持ちこたえたが9月7日玉砕、ここには1944年にできた慰安所があり、日本人慰安婦15名は自決、朝鮮人5名の慰安婦は投降し、保護される。
6日後の9月13日には、拉孟の北の騰冲でも玉砕、計3225名、雲南での100日間にわたる戦いは失敗に終わる。
生き残った者は北ビルマから南へ敗走し、シャン高原で終戦を迎える。
さらにケマピューからサルウイン河(怒江)を渡河しタイまで落ちて行く。
「龍」の記録
兵力28,980名
戦没者17,895名
生還者11,085名
アジア的生活(86ページ・ビルマの日々)浜なつ子講談社2000年より
その他
ビルマの耳飾り武者一雄光人社1997年
回想ビルマ作戦―第三十三軍参謀痛恨の手記野口省己光人社2000年
菊と龍相良俊輔光人社1994年
断作戦古山高麗雄文藝春秋2003年
菊兵団−軍医のビルマ日記塩川優一日本評論社2002年(前版1994年)
太平洋戦争日本の責任4責任なき戦場インパールNHK取材班角川文庫平成7年