第1章 雲南
 第3節 雲南の歴史
  第3項 明代、清代、第2次大戦(インパール作戦)

明代

1381年 雲南布政使司が置かれる
16世紀中頃 ビルマのトゥングー朝が一時西双版納を占領
1656年 明の永明王は清軍との戦いで追われ、李定国に奉じられて雲南に入る
1658年 呉三桂に命じて再び雲南を攻撃させここに入る
翌年 清軍が追撃して雲南に侵攻、永明王はビルマに逃れる

NHKチャンタン高原
グゲ王国王城ツァパラン
吐蕃王朝(6世紀)崩壊(9世紀ランダルマ王の死)後の10世紀頃、末裔がグゲ、プラン(カイラス山)、ラダックの「ガリーの3地域」に一族を分封する。
1630年ラダック軍により滅亡
ララマ・イェシェーウー王が11世紀頃インドから帰国した、高僧リンチェンサンポのためにトリン寺を建てた。

清代

雲南省が設けられる
1673年 呉三桂が挙兵
清軍により弾圧の嵐に晒される
メコン河を下って難民として南に逃れる者もいた
19世紀前半 清朝の銀鉱山の無理な経営と弱体化により反乱が相次ぐ
1817年 高羅衣の反乱をはじめ、どれも清の総督に鎮圧されるが、そのたびに難民が南下
19世紀後半 ヨーロッパ列強が中国を蚕食、雲南は南からの列強進出の渦中に
 イギリスはビルマ方面から、ビルマ・雲南国境での中国人によるマーガリー殺害事件をきっかけとして雲南への交易路を確保
 フランスはすでに手中にしていたベトナム・ラオスからメコン河経由で、清仏戦争の勝利により陸路貿易を開き、後の雲南鉄道の布石
1910年ハイフォンと昆明を結び開通

インパール作戦

インパールはインド東端のミャンマーとの国境近くの町で、中印交易の要衝。

昭和16年(1941年)12月8日マレー半島上陸、 南下してシンガポール攻略、 西進してタイを制圧、 イギリス領ビルマへ進入。
昭和17年(1942年)3月ラングーン占領、 5月ビルマ全土掌握。

昭和18年(1943年)1月連合軍カサブランカで合同参謀会議開催。 アメリカは援將ルートの確保、イギリスは植民地奪回のためビルマ奪回が決定される。
2月ガダルカナル島陥落。日本軍は防衛体制の強化を迫られる。
昭和18年3月27日ビルマ方面軍を新設し第15軍を直接指揮。
7月チャンドラボース、 8月1日バー・モー首相にビルマを独立させる。

昭和19年(1944年)1月7日参謀総長指示をもって認可。
3月開始。 4ヶ月にわたる激しい戦闘で3万人近い死者。
6月1日朝、佐藤師団長独断命令により第31師団コヒマ撤退。
7月1日大本営作戦中止を認可。
7月18日サイパン陥落、東条首相辞任。
7月22日小磯内閣成立。


ビルマ方面に配置されたのは十個師団
ビルマ方面軍第二師団(通称・勇)
ビルマ方面軍第四十九師団(狼)
ビルマ方面軍第五十三師団(安)
第十五軍第十五師団(祭)
第十五軍第三十一師団(烈)
第十五軍第三十三師団(弓)
第二十八軍第五十四師団(兵)
第二十八軍第五十五師団(壮)
第三十三軍第十八師団(菊)
第三十三軍第五十六師団(龍・たつ)

ビルマ方面軍(森、河辺正三中将、本部ラングーン)
インパールを目指したのは第15軍(林、牟田口廉也中将、本部メーミョ)
第三十一師団(烈)佐藤幸徳中将、インパール北方コヒマ方面
第十五師団(祭)山内正文中将、インパール北方面
第三十三師団(弓)柳田元三中将、ビシェンプール(インパール南)方面



北ビルマを作戦担任としたのが第33軍(本田中将)
「龍」は1941年(昭和16年)福岡県久留米で編成され、兵隊のほとんどは福岡、長崎、佐賀の出身。 同じく北九州で編成された「菊」とは兄弟師団。 怒江を渡って来る重慶軍と戦った。


ミャンマーから中国国境の町、 町を通り、

さらに東に進み芒市を占領1942年(昭和17年)5月2日。
怒江にかかる恵通橋を見下ろす拉孟に、陣地を構える5月5日。
この橋は、 緬公路

という援蒋ルートに架る橋で、現在の橋は1974年に建設された紅旗橋で、恵通橋はその上流100mほどにあった。
タコ壺式の陣地を構築し、約2年間は平和なひとときを過ごすが、
1944年(昭和19年)6月2日、アメリカ軍中将スティルウェル率いる雲南遠征軍20万の中国兵がインドに於いて米国式装備によって訓練され、 さらに30万の予備軍を配置し、物量作戦を挑んで来た。
それに対する「龍」はわずか1280名。
よく持ちこたえたが9月7日玉砕、ここには1944年にできた慰安所があり、日本人慰安婦15名は自決、朝鮮人5名の慰安婦は投降し、保護される。
6日後の9月13日には、拉孟の北の騰冲でも玉砕、計3225名、雲南での100日間にわたる戦いは失敗に終わる。
生き残った者は北ビルマから南へ敗走し、シャン高原で終戦を迎える。
さらにケマピューからサルウイン河(怒江)を渡河しタイまで落ちて行く。
「龍」の記録
兵力28,980名
戦没者17,895名
生還者11,085名
アジア的生活(86ページ・ビルマの日々)浜なつ子講談社2000年より
その他
ビルマの耳飾り武者一雄光人社1997年
回想ビルマ作戦―第三十三軍参謀痛恨の手記野口省己光人社2000年
菊と龍相良俊輔光人社1994年
断作戦古山高麗雄文藝春秋2003年
菊兵団−軍医のビルマ日記塩川優一日本評論社2002年(前版1994年)
太平洋戦争日本の責任4責任なき戦場インパールNHK取材班角川文庫平成7年